小早川隆景の養子となった元就の九男
毛利秀包もうり ひでかね
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誕生 1567年(永禄10年)
生誕地 安芸国
実父:毛利元就、養父(兄):小早川隆景
乃美の方
幼名 才菊丸
藤四郎、大田元綱、小早川元総、小早川秀包、毛利秀包、シマオ(受洗名)
通称 久留米侍従
官名 従四位下、筑後守、侍従
近親など 正妻:桂姫(マセンシア・大友宗麟の娘)
兄:毛利隆元吉川元春など
ゆかりの地  伊予国 大洲城
 筑後国 久留米城
略歴 ●元就の九男
1567年 (1歳)
毛利元就の九男として生まれる。

1571年 (5歳)
備後国の国人、大田元綱の死後、家督を相続し、大田元綱と名乗る。

●小早川家
1579年 (13歳)
毛利両川のひとりで、実子のいない小早川隆景(兄)の養嗣子に。

その後、元服し小早川元総と名乗る。

●大坂
1583年 (17歳)
毛利家が、羽柴(豊臣)秀吉に臣従すると、甥の吉川広家とともに人質として秀吉のいる大坂城に。

秀吉の名、羽柴藤吉郎秀吉から2字をもらい、小早川藤四郎秀包と改名。

1584年 (18歳)
羽柴(豊臣)秀吉に従い、小牧・長久手の戦に参陣。

1585年 (19歳)
河内国に1万石を拝領。

●大洲
四国攻めでは、伊予国金子城攻めなどで貢献。
戦後、伊予国大津(後の大洲)に3万5千石を拝領し、大津城主(大洲城主)に。

●久留米
1587年 (21歳)
九州攻めでも貢献。
戦後、養父小早川隆景筑前国筑後国肥後国の一部、合計37万1千石を拝領すると、筑後国久留米3万5千石を拝領。

久留米城を改築し、居城に。

毛利家のかつての仇敵である大友宗麟の娘と結婚。

佐々成政の悪政により肥後国で一揆が起こると、総大将として出陣、立花宗茂らと協力して一揆を平定。
戦後、立花宗茂と義兄弟の契りを結ぶ。

1589年 (23歳)
侍従に叙任され、久留米侍従と呼ばれるように。

1592年 (26歳)
文禄の役では朝鮮に渡海。

●別家
1594年 (28歳)
秀吉の甥、木下秀俊(小早川秀秋)が小早川家の養嗣子となったため、別家を立てる。

1597年 (31歳)
慶長の役(第二次朝鮮出兵)に出兵。

兄でかつての養父、小早川隆景が死没。

●改易
1600年 (34歳)
関ヶ原の戦では西軍につき、近江国大津城攻めなどを行うが敗北、
戦後改易となるが、本家の毛利輝元から長門国内に所領を拝領。

小早川姓から、毛利姓に。

1601年 (35歳)
長門国にて病没。
レクイエム
死没 1601年4月24日(慶長6年3月22日) (享年35歳)