その死を信長に非常に惜しまれた攻めの三左
森可成もり よしなり
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誕生 1523年(大英3年)
生誕地 尾張国 葉栗郡 
森可行
 
幼名
森三左衛門可成
官名 なし
近親など 正室:林通安の娘
子:森長可森蘭丸森坊丸森力丸など
ゆかりの地  美濃国 金山城
 近江国 宇佐山城
略歴 ●尾張
1523年 (1歳)
尾張国の土豪、森可行の子として生まれる。

●信長への随身
初め、美濃国の土岐家に仕えていたが、土岐家が斎藤道三に滅ぼされると織田信長に仕える。

1555年 (33歳)
織田信長清洲城攻めで、織田信友を討つなど貢献。

1560年 (38歳)
桶狭間の戦に参陣。功をたてる。

●美濃
1565年頃 (43歳)
美濃国金山城主に。(7万5千石)

1568年 (46歳)
信長の上洛戦に従軍。

●近江
近江国の宇佐山城の守将に。

1570年 (48歳)
姉川の戦に参陣。

織田信長に対し、本願寺が各地で一斉蜂起したことから、浅井・朝倉軍も急遽これに呼応し、3万の軍勢で湖西一帯を襲った。(志賀の陣

宇佐山城から討って出るが、討ち死に。(宇佐山の戦
レクイエム その武勇は織田家中でも称えられ、「攻めの三左」と呼ばれた。

可成の死の1年後、信長は比叡山焼き討ちを行い仇をとる。
死没 1570年10月19日(元亀元年9月20日) (享38歳)