若くして病に倒れた三好長慶の愛息
三好義興みよし よしおき
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誕生 1542年(天文11年)
生誕地 摂津国
三好長慶
波多野稙通の娘
幼名 千熊丸
孫次郎、三好慶興、三好慶長、三好義興 
官名 従四位下、筑前守
近親など 叔父:三好実休(義賢)、安宅冬康十河一存、野口冬長など
妹:娘(松永久秀の正室)
子:三好義資
ゆかりの地  摂津国 越水城
 摂津国 芥川山城
 河内国 飯盛山城
略歴
●三好家
1542年 1歳 管領細川晴元の家臣で摂津国越水城主、三好長慶の嫡男として生まれる
●三好政権
1547年 8歳 父が、細川晴元の同族、細川氏綱に奪われた摂津国芥川山城を攻めて奪還、三好一族の芥川孫十郎が芥川山城主に
1549年 9歳 父が、将軍足利義晴足利義輝父子と細川晴元を追い出し、細川氏綱を管領に就かせ、三好政権を樹立
1552年 12歳 元服し、三好慶興と名乗る
1553年 13歳 父が畿内を平定
1558年 17歳 父が将軍足利義輝と和睦し、幕府の相判衆となり実権を握る
1559年 18歳 父とともに上洛、将軍から偏諱を賜り三好慶長と名乗る
家臣松永久秀が、大和国を平定
1560年 19歳 父が安見直政を高屋城に攻め勝利。河内国を支配下に
    ●芥川山城主
父が河内国飯盛山城を居城にすると、芥川山城主に
1561年 20歳 幕府の御供衆、相伴衆に
叔父、十河一存が急死
    ●連戦
将軍地蔵山の戦で、六角(義賢)承禎勢に勝利
1562年 21歳 久米田の戦にも参陣するが、叔父の三好実休(義賢)が戦死するなど三好家は敗北
教興寺の戦畠山高政勢に大勝、三好家の危機を救う
幕職から失脚した伊勢貞孝が、六角(義賢)承禎に呼応して京都船岡山で挙兵するが、松永久秀とともにこれを平定
1563年 42歳 芥川山城で病死
死没 1563年9月12日(永禄6年8月25日) (享年22歳)
レクイエム 松永久秀暗殺説もあるが、実証に乏しく、黄疸による病死が事実であろう。

将軍足利義輝のみならず朝廷からの信頼も篤く、病に倒れた際は内侍所で病気平癒のための御神楽が行われた。

父、長慶の落胆ぶりは激しかったという。
翌年、 讒言を信じ込み実弟の安宅冬康を殺害し、それが間違いだと判明したことも重なり、精神に異常を来たし死没してしまう。