晩年の消息が不明な河内高屋城主
三好笑岩みよし しょうがん
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誕生 1506年(永正3年)
生誕地  
三好長秀
 
幼名  
孫七郎、三好康長
官名 山城守
近親など 養子:三好信吉など
ゆかりの地  河内国 高屋城
略歴 ●三好一族
1506年 (1歳)
阿波国の三好一族、三好康長の子として生まれる。

1539年 (34歳)
主君の三好長慶が上洛し、将軍足利義晴や管領細川晴元近江国に追い、畿内に君臨。

1548年 (43歳)
三好長慶が、管領細川晴元と対立。

●三好家の畿内制圧
1549年 (44歳)
三好長慶の弟の十河一存が、江口の戦で三好政長を攻め自害させる。

これにより、主君三好長慶が、将軍足利義晴足利義輝父子と細川晴元を追い出し、細川氏綱を管領に就かせ、これにより三好政権が樹立。

1552年 (47歳)
三好長慶が畿内の安定を狙って、近江国六角(義賢)承禎の斡旋により、足利義輝と和睦。

1553年 (48歳)
三好長慶足利義輝と対立し、足利義輝細川晴元を攻め勝利。これにより畿内を平定。

●河内国
1562年 (57歳)
久米田の戦で畠山・六角連合軍に敗北。

教興寺の戦畠山高政に勝利し紀伊国へ追い、河内国を支配。

1564年 (59歳)
主君三好長慶が病死。
松永久秀または三好三人衆が謀殺したとの説もあり)
三好政権は、松永久秀や三好三人衆に握られる。

1565年 (60歳)
松永久秀や三好三人衆が、二条御所の足利義輝(13代将軍)を急襲し殺害。(永禄の変

1566年 (61歳)
三好三人衆とともに、松永久秀と対立。

1567年 (62歳)
東大寺の戦。

●城主
1568年 (63歳)
河内国の高屋城主に。

足利義栄が第14代将軍に。

織田信長が上洛したため(信長の上洛戦)、本国の阿波国へ逃れる。

1569年 (64歳)
松永久秀に従い本國寺の足利義昭(第15代将軍)を攻めるが、織田方に撃退される。(本國寺の変)

1574年 (69歳)
河内国の高屋城に帰還。

●信長の家臣
1575年 (70歳)
松永久秀や三好義継が、将軍足利義昭に従い織田信長と対立したが、信長に臣従。

1582年 (77歳)
織田信長の四国攻めの先方として阿波国へ攻め込むが、本能寺の変が起こり堺へ逃げ戻る。
その後は、羽柴秀吉に仕える。

1584年 (79歳)
羽柴秀吉の命により、後の秀吉の養子で関白となる羽柴(豊臣)秀次(三好信吉)を養子に。

1585年 (80歳)
羽柴秀吉四国攻めで降伏した長宗我部元親の取次ぎを務める。

その後の消息は不詳。
死没 ????年(享年??歳)
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