三好三人衆の筆頭、日向守
三好長逸みよし ながやす
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誕生 1515年(?)(永正12年?)
生誕地  
三好長光
 
幼名 千熊丸
孫四郎、三好長逸、三好長縁 
官名 従四位下、日向守
近親など 子:三好久介など
ゆかりの地  山城国 飯岡城
略歴 ●三好一族
1515年 (1歳)
阿波国の三好一族、三好長光の子として生まれる。

1520年 (6歳)
祖父、三好之長と、父、三好長光が、細川高国との戦で戦死。
これにより家督を相続。

1539年 (25歳)
主君の三好長慶が上洛し、将軍足利義晴や管領細川晴元近江国に追い、畿内に君臨。

●管領との対立
1548年 (34歳)
三好長慶細川晴元と対立。

●畿内制圧
1549年 (35歳)
三好長慶の弟の十河一存が、江口の戦で三好政長を攻め自害させる。

これにより、主君三好長慶が、将軍足利義晴足利義輝父子と細川晴元を追い出し、細川氏綱を管領に就かせ、三好政権が樹立。

1552年 (38歳)
三好長慶が畿内の安定を狙って、近江国六角(義賢)承禎の斡旋により、足利義輝と和睦。

1553年 (39歳)
主君三好長慶足利義輝と対立し、義輝と細川晴元を攻め勝利。これにより畿内を平定。

1554年 (40歳)
播磨国攻めで貢献。

1555年 (41歳)
丹波国の波多野晴通攻めで貢献。

●城主
1558年頃 (44歳)
山城国飯岡城主に。

1562年 (48歳)
久米田の戦で畠山・六角連合軍に敗北。

1564年 (50歳)
主君三好長慶が病死。
松永久秀または三好三人衆が謀殺したとの説もあり)
三好政権は、松永久秀や三好三人衆に握られる。

1565年 (51歳)
松永久秀とともに、二条御所の足利義輝(13代将軍)を急襲し殺害。(永禄の変

1566年 (52歳)
三好家の主導権争いから、松永久秀と対立し、上芝の戦で勝利。

これを機に、足利義栄を擁立。

1567年 (53歳)
後見していた三好義継が松永久秀と結んだことから、東大寺の戦が起こるが敗北。この際、大仏殿が炎上。

1568年 (54歳)
足利義栄を第14代将軍に就かせる。

織田信長が上洛し(信長の上洛戦)、桂川の戦で敗北。本国の阿波国へ逃れる。

1569年 (55歳)
本國寺の足利義昭(第15代将軍)を攻めるが、織田方に撃退される。(本國寺の変)

1570年 (56歳)
四国にて兵を集め挙兵し、荒木村重や池田家とともに織田信長方を攻めるが成功せず。

この後、本願寺の顕如と結んで、織田信長に対立。

1573年 (59歳)
将軍足利義昭織田信長打倒の旗揚げをきっかけに、松永久秀や三好義継も信長を裏切る。

反信長の旗頭、武田信玄上洛戦途上で病死したことから、旗色が悪化。

摂津国中島城に居るところを信長勢に攻められ逃走。(もしくはその際討ち死に)
死没 1573年?(元亀4年?)(享年59歳?)
レクイエム 三好長慶の一族として長慶に仕え、その死後、幼くして三好家当主となった三好義継も補佐役として活躍。

三好三人衆の筆頭だった。

最期については確かな資料が見つかっておらずはっきりしない。