久米田の戦で討ち死にした長慶の次弟
三好実休みよし じっきゅう
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誕生 1527年(?)(大永7年)
生誕地  
三好元長
 
千満丸(幼名)、彦次郎、之相、之虎、実休 物外軒
官名 豊前守
近親など 兄:三好長慶
弟:安宅冬康十河一存、野口冬長など
正室:久米義広の娘
継室:岡本牧西の娘(大形殿・小少将)
子:三好長治、十河存保、安宅神五郎
ゆかりの地 GOOGLE MAP 阿波国 勝瑞城
略歴
●三好一族
1527年 1歳 管領、細川晴元の家臣で三好一族の長、三好元長の子として生まれる
    ●父の死
1532年 6歳 主君、足利義維とともに木沢長政の飯盛山城攻めの最中、一向宗の大軍に背後を襲われた父、三好元長が自害
1534年 8歳 兄、三好長慶細川晴元と本願寺の講和に尽力したことから、畿内にて幕臣として活躍しだす
    阿波国に残り、守護、細川持隆に仕える
1536年 10歳 弟の神太郎(安宅冬康)が、淡路国の海賊衆の安宅家の養子となり家督を相続
1539年 13歳 細川持隆に従い、伊予国河野家を攻める
兄、三好長慶が亡父の河内国の遺領を取り戻すために大軍を率いて上洛。将軍足利義晴や管領細川晴元近江国に追う
兄、三好長慶細川晴元と和睦し摂津国越水城主に
●畿内
1544年 18歳 兄のいる畿内へ進出
1546年 20歳 阿波国から大軍を畿内へ送り込む
1547年 21歳 摂津国の舎利寺の戦で、細川氏綱、畠山政国、遊佐長教らに大勝
1548年 22歳 父の実質的な仇である、叔父の三好政長を追放しようとするが許されなかったことから、主君、細川晴元と対立
●畿内制圧
1549年 23歳 江口の戦で、弟の十河一存らが三好政長を攻め自害させる
兄、三好長慶が、将軍足利義晴足利義輝父子と管領細川晴元を追い出し、細川氏綱を管領に就かせ、三好政権を樹立
1552年 26歳 兄、三好長慶、畿内の安定を狙って、近江国六角(義賢)承禎の斡旋により、足利義輝と和睦
    ●旧主殺し
主君、細川持隆に謀反を起こし、見性寺に攻め討つ。(勝瑞事件)
    持隆の子、細川六郎(真之)を阿波細川家の当主に据え、その生母、小少将を継室とし、実質的な勝瑞城主に
1553年 27歳 これにより敵対関係となった久米義広、佐野丹波らと戦い勝利。(鑓場の戦)
    これにより、阿波細川家の実権を掌握
兄、三好長慶、謀反の疑いのある芥川孫十郎を摂津国芥川山城に攻め勝利、芥川山城を居城に
兄、三好長慶足利義輝と対立し、義輝と細川晴元を攻め勝利。これにより三好家は畿内を平定
1554年 28歳  兄、三好長慶播磨国攻めに参陣
●勢力拡大
1557年 31歳 兄、三好長慶播磨国の東部と丹波国を平定
1558年 32歳 京都奪回をはかる足利義輝細川晴元らとの戦に参陣(北白川の戦)
足利義輝と和睦した兄、三好長慶が、幕府の相判衆となり実権を握る
1559年 33歳 三好家家臣の松永久秀が、大和国を平定
河内国守護の畠山高政を追放し、河内国を支配していた安見直政を攻めて勝利
1560年 34歳 畠山高政が安見直政と組んで敵対してきたことから、高政の居城、高屋城を攻め勝利。これにより河内国の守護に
兄、三好長慶飯盛山城を居城に
●下り坂
1561年 35歳 兄、三好長慶細川晴元を普門寺城に幽閉
弟の十河一存が急死
    二男、孫六(十河存保)を十河家に送り込み家督を継がせる
1562年 36歳 細川晴元の子晴之を奉じた畠山高政六角(義賢)承禎らに攻められ討ち死に(久米田の戦
死没 1562年4月8日(永禄5年3月5日)(享年36歳)
レクイエム 辞世は「草枯らす霜又今朝の日に消て報の程は終にのがれず」。

武野紹鴎に茶を学び、三日月の壺をはじめ数多くの名物を所持していたという。