早雲に攻め滅ぼされ油壺に沈んだ
三浦道寸みうら どうすん
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誕生 1451年(宝徳3年)(異説あり)
生誕地  
三浦(上杉)高救
大森氏頼の娘
三浦義同(よしあつ)、三浦道寸(出家後)
元服名  
幕職 相模国守護
官名 従四位下、陸奥守
近親など 子:三浦義意など
ゆかりの地  相模国 新井城
 相模国 岡崎城
 相模国 住吉城
 相模国 小田原城
略歴 ●扇谷一族
1451年 (1歳)
扇谷上杉家当主、上杉朝持の子の上杉高救の子として生まれる。

●父とともに三浦家へ
その後、父、上杉高救が、相模国守護の三浦家の養子に。

1462年 (12歳)
三浦家と扇谷上杉家の確執により、父、三浦(上杉)高救が三浦家当主に。

1486年 (36歳)
扇谷上杉家当主、上杉定正が、家宰である太田道灌を殺害したことから、養祖父、三浦時高が激怒し、父、三浦(上杉)高救とともに追放となり、母の実家である西相模の大森家を頼る。
(三浦時高に実子の三浦高教が生まれたため不和となり追放された、という説もある)

●再起
1494年 (44歳)
大森家の援助を受け、新井城の養父、三浦時高とその子、三浦高教を攻め滅ぼし、三浦家を相続。

その後、家督と新井城を子の三浦義意に譲り、岡崎城を居城に。

●早雲との対立
1495年 (45歳)
伊豆国北条早雲から小田原城を奪われた大森藤頼を保護し、北条早雲と敵対。

1510年 (60歳)
北条早雲小田原城を攻めるが、居城の岡崎城を攻められたことから撤兵。

1512年 (62歳)
北条早雲から居城の岡崎城を攻められ退城、逗子の住吉城へ撤退。

1513年 (63歳)
援助に駆けつけた太田資康が討ち死に。(異説あり)

その後住吉城から撤退し、本城の新井城へ籠城。

1516年 (66歳)
扇谷上杉家当主、上杉朝興が援軍として相模国へ来襲、早雲の拠点玉縄城を攻めるも落とせず撤退。

新井城の兵糧が尽きたことから、最後の戦いを挑み、子の三浦義意とともに討ち死に。
死没 1516年(永正13年)7月 (享年66歳)
レクイエム 三浦家の滅亡は凄惨で、海に身を投げた多くの死者が流す血により海面が油を浮かべたようになったことから、その地が油壺と命名されたと言われている。

辞世は「討つ者も討たるる者も土器(かわらけ)よ くだけて後はもとの塊(つちくれ)」