弟の幽斎と袂を分かった室町幕臣
三淵藤英みつぶち ふちひで
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誕生 ????年??月??日(????年??月??日)
生誕地  
三淵晴員
 
幼名 弥四郎
三淵藤之、三淵顕家、宗光
官名 弾正左衛門尉、大和守
近親など 弟:細川幽斎(藤孝)など
子:三淵秋豪、三淵光行、朽木昭貞、朽木昭知、朽木昭長など
ゆかりの地  山城国 二条新御所
 近江国 坂本城
略歴 ●幕臣の子
????年 (1歳)
室町幕臣、三淵晴員の嫡男として生まれる。

その後、父とともに室町幕府の幕臣に。

●細川家の養子
1540年 (??歳)
弟の萬吉(細川藤孝(幽斎))が、幕臣、細川元常の養子となる。

●義昭救出
1565年 (??歳)
13代将軍足利義輝松永久秀に暗殺されると、仏門に入っていた義輝の弟(後の足利義昭)を 弟の細川藤孝(幽斎)とともに救出し、有力大名である越前国朝倉義景を頼る。
その後、朝倉家に仕えたばかりの明智光秀に再会する。

1568年 (??歳)
義景が上洛には消極的であるため、明智光秀と諮って尾張国織田信長を頼り、信長の承諾を得る。

信長に担がれて上洛した足利義昭が15代将軍の座に就くと、その重臣として信長から京都の守備を命じられる。

1569年 (??歳)
本國寺の変

●伏見城主(旧伏見城)
1571年 (??歳)
この頃山城国、伏見城主に。(旧伏見城)

●弟の裏切り
1573年 (??歳)
弟の細川藤孝(幽斎)が、信長に敵対した足利義昭を見限り織田信長に仕えたことを知り激怒。

弟の細川藤孝(幽斎)襲撃を計画するが失敗。

足利義昭が槙島城の籠ると、二条新御所の城代となるが信長勢に包囲され、居城の伏見城(旧伏見城)に退却。

その後、細川藤孝(幽斎)柴田勝家の説得により降伏。
足利義昭も信長に降伏し、追放される。(室町幕府滅亡)
(槙島の戦)

●失脚
1574年 (??歳)
信長より所領を没収され、明智光秀預かりとなり近江国坂本城へ。

その後自害を命じられる。
死没 1574年7月23日(天正2年7月6日) (享年??歳)
レクイエム 城主を務めた、旧伏見城の場所や規模は不詳。