信玄の甲斐への退陣を攻めた北条家の誤算
三増峠の戦みませとうげのたたかい
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西暦 1569年
和暦 永禄12年10月
関連する場所  相模国 三増峠
 相模国 小田原城
 相模国 津久井城
 武蔵国 滝山城
 武蔵国 鉢形城
周辺図
概要 ●三増峠
武田信玄は、北条家の居城、小田原城を4日間包囲し、その武威を見せつけることに成功した。(小田原城攻め(武田信玄)

甲斐国へ戻る武田軍に対し北条氏康は追撃戦を決意し、武蔵国滝山城北条氏照鉢形城北条氏邦らに、信玄の帰路である相模国愛甲郡の三増峠(みませとうげ)に2万の軍勢で布陣させた。
小田原からの北条氏康本隊1万との挟撃を仕組んだのである。

これを知った武田信玄は、小荷駄隊を勇将内藤昌豊に預け、また、敵の背後をつけるよう別働隊(遊撃隊)を用意するなど、周到な隊伍を組んだ。

・峠を突破する先陣部隊:馬場信春武田勝頼、浅利信種の3部隊
(この中に、内藤昌豊の率いる小荷駄隊が入る)
津久井城への抑え:小幡信貞
・別働隊(遊軍):山県昌景、小山田昌行ら8部隊
(三増峠の1本南側の志田峠へ向かい、北条勢の背後をつく)
・峠の高所から味方を援護する部隊:武田信玄と旗本衆+残りの部隊

●早朝からの激戦
10月6日の早朝に戦闘は始まった。
武田勢は遮二無二峠を押し通ろうとするが、北条勢はものすごい射撃でこれをはばむ。
特に内藤昌豊の小荷駄部隊は狙い打ちを受け被害も大きく、また、先鋒の浅利信種も戦死するなど、武田軍は苦戦に陥った。

しかし、志田峠へ向かっていた山県昌景や小山田昌行の遊撃軍5千が、その方面の北条勢を蹴散らすことに成功したのち三増峠に駆けつけ、北条勢の背後から急襲したことから、たちまちに形勢は逆転、北条軍は不意を突かれた形となり中津川方面へ敗走した。
北条勢は3千以上が討ち取られる大敗となった。
武田軍は三増峠を通過、道志川河畔で勝鬨をあげたという。

小田原から厚木まで1万の軍勢を率い追撃してきていた北条氏康は、止む無く兵を引いた。
その他 この戦で武田強しを痛感した北条氏康は、本拠の防衛強化を強いられ、進めていた駿河国への侵攻作戦を断念することになった。
まさに武田信玄の構想通りの展開となったわけである。