里見家再浮上のきっかけとなった対北条戦
三船山の戦みふねやまのたたかい
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西暦 1567年
和暦 永禄10年8月
関連する場所 GOOGLE MAP 上総国 佐貫城
GOOGLE MAP 上総国 久留里城
GOOGLE MAP 上総国 三船山
略図
概要 ●里見家の危機
1564年の国府台合戦(第二次)で北条家に大敗を喫した里見家は、上総国の北部から西部まで侵攻を許し諸豪の離反が相次ぎ、東部の勝浦城主、正木時忠や万喜城主、土岐為頼といった重臣までもが北条家の軍門に降ってしまった。

●三船山砦
北条氏政里見義弘の居城、佐貫城を攻略すべく、城の北約1里(4q)の三船山麓に砦を築城し、藤沢播磨守や田中美作守を守将として入れた。

これだけの近距離に砦を築かれてはたまらない里見義弘は、砦への攻撃を開始した。

●北条の大軍
これに対し北条氏政北条綱成太田氏資らは、水軍を加えた2万の軍勢を率いて江戸湾を渡り三船山に着陣、また、弟の北条氏照や原胤貞ら別動隊1万が、里見義弘の父の居城、久留里城の攻撃に向かっていた。

●激戦
合計3万の大軍を相手に籠城しても勝ち目なしと判断した里見義弘は、北条勢に先制攻撃を仕掛けた。

8月23日、三船山に里見勢が攻め寄せると、数に勝る北条氏政は全軍で迎え撃とうとしたが、里見勢は反転し佐貫城へ向かって退却し始めた。

ここを好機ととらえた北条氏政は追撃を始めるが、麓の障子谷の深田に誘いこまれ足を取られたところを、再び反転した里見勢の猛攻を受け始める。

さらに八幡山にいた正木憲時の別動隊が、北から攻めかかって来たため北条勢は挟み撃ちを受けることになった。

●北条勢の退却
北条勢は退却を始めるが、殿を任された太田氏資が討ち死にするなど、2500もの兵を討たれる大敗となり、房総半島からの撤退を余儀なくされた。

この勝利により、里見義弘は滅亡の危機を免れた。
その他