海外貿易で巨利を得て戦国大名となった
松浦隆信まつら たかのぶ
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誕生 1529年(享禄2年)
生誕地 肥前国 平戸
松浦興信
波多興の娘
幼名 源三郎
松浦隆信、印山道可、一渓斎
官名 肥前守
近親など 正室:杉隆景の娘
子:松浦鎮信、後藤惟明、松浦親(松浦宗金の養子)、松浦信実など
ゆかりの地 GOOGLE MAP 肥前国 勝尾嶽城
略歴 ●平戸松浦家
1529年 (1歳)
肥前国平戸松浦家当主で勝尾嶽城主、松浦興信の子として生まれる。

1541年 (13歳)
父、松浦興信が病死。

●家督
1543年 (15歳)
家臣、籠手田安昌などの支持を受け、家督を相続。

その際、周防国の太守、大内義隆から偏諱を受け松浦隆信と名乗り、肥前守を叙任。

●貿易とキリスト教
1550年 (22歳)
ポルトガルとの貿易を開始。(南蛮貿易)

イエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルに布教を許す。

その後、貿易による巨利を利用し、大砲や鉄砲の購入に加え鉄砲製造などにより軍備を強化。

その後、北松浦半島に築かれていた、倭寇の3大拠点を平定。

1558年 (30歳)
宣教師ガスパル・ヴィレラに平戸からの退去を命じる。

1561年 (33歳)
ポルトガル人殺傷事件(宮ノ前事件)がきっかけで、ポルトガルとの貿易が一時中断。

1562年 (34歳)
この頃までに、肥前国4郡を支配下に置いた龍造寺隆信の勢力が拡大し、脅威となる。

●松浦宗家を支配下に
1563年 (35歳)
松浦氏宗家、松浦親(宗全)の飯盛山城を攻めて降伏させ、三男の九郎を当主に送り込み(松浦丹後守親)、宗家を支配下に置くことに成功。

1564年 (36歳)
ポルトガルとの貿易を復活。

1565年 (37歳)
ポルトガルとの貿易が、キリシタン大名となった大村純忠の元で行われるようになり、平戸での貿易は途絶える。

これに不満を持ち、福田浦に停泊中のポルトガル船を襲撃するが、撃退される。

●隠居
1568年 (40歳)
隠居し、子の松浦鎮信に家督を譲る。

1571年 (43歳)
壱岐国を支配。

1581年 (53歳)
直谷城の志佐家に介入し、支配下に。

1584年 (57歳)
龍造寺隆信沖田畷の戦で戦死したことから、その脅威が薄れる。

●秀吉
1587年 (60歳)
豊臣秀吉九州攻めでは、子で当主の松浦鎮信ともに参陣。
戦後、所領を安堵される。

1588年 (61歳)
上洛。

1599年 (72歳)
死没。
死没 1599年4月30日(慶長4年閏3月6日) (享年72歳)
レクイエム 肥前のはずれの小さな国人に過ぎなかったが、貿易による財力や知恵で戦国大名にのし上がった。