悪名高い弾正久秀の嫡男 | |
松永久通まつなが ひさみち | ![]() |
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誕生 | 1543年2月11日(天文12年1月8日) |
生誕地 | |
父 | 松永久秀 |
母 | |
幼名 | 彦六、金吾 |
元服名 | |
通称 | 松永金吾 |
官名 | 従五位下、右衛門佐 |
近親など | 正妻:おなへ(十市遠藤の娘) 子:松永彦兵衛など |
ゆかりの地 | ![]() ![]() ![]() |
略歴 | ●三好家祐筆の子 1543年 (1歳) 阿波国の三好長慶の祐筆、松永久秀の嫡男として生まれる。 ●摂津 1553年 (11歳) 父、松永久秀が、三好家の畿内平定とともに、摂津国の半国を支配下に。 その後、父とともに三好家に仕える。 ●大和 1559年 (17歳) 父、松永久秀が三好長慶から大和国平定を命ぜられ、大和国の信貴山城に移る。 1560年 (18歳) 父、松永久秀が大和国を支配。 1562年 (20歳) 父から家督を譲られ、多聞山城主に。 1563年 (21歳) 従五位下、右衛門佐に叙任される。 ●主殺し(?) 1564年 (22歳) 主君、三好長慶が精神に異常を来たし死去。 (父、松永久秀が謀殺したという説あり) これにより、父、松永久秀や三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)が三好家の実権を握る。 ●将軍殺害 1565年 (23歳) 足利義栄を傀儡将軍にして幕府の実権を握るべく、三人衆とともに、二条御所(旧二条城)の足利義輝(13代将軍)を急襲し殺害。(永禄の変) しかしこのあと三好三人衆との権力争いが勃発。 1566年 (24歳) 上芝の戦で三好義継と三好三人衆に敗北。 畿内は三好三人衆が平定。 父とともに和泉国堺に逃れ、懇意だった堺の会合衆の斡旋を要請し、三好義継との和睦に成功、大和国に残る。 ●大仏殿焼却 1567年 (25歳) 東大寺の戦で三好三人衆に勝利。 この際、大仏殿が炎上。 1568年 (26歳) 父、松永久秀が足利義栄を14代将軍につかせる。 ●信長への臣従 上洛してきた織田信長が畿内の三好勢を四国へ逃亡させる。 (信長の上洛戦) 父、松永久秀とともに信長に降り、大和国と河内国半国を安堵される。 ●反旗と降伏 1571年 (29歳) 甲斐国の武田信玄と連絡をとり、父、松永久秀とともに織田信長に反旗を翻す。 1573年 (31歳) 上洛戦途上の武田信玄の死により、織田信長に降伏。 1575年 (33歳) 織田信長に大和国の支配権を剥奪され、竜王寺山城に移り、佐久間信盛の配下に入れられる。 十市遠藤の娘と結婚。 原田直政の命により、妻の叔父である十市遠長の十市城を攻め落とす。 本願寺攻め(石山合戦)に参陣。 ●再度の反旗 1577年 (35歳) 再び織田信長に反抗したことから、人質の庶子2名を信長に処刑される。 その後、織田信忠勢に信貴山城を囲まれ、父、松永久秀とともに自害。(信貴山城の戦) |
死没 | 1577年11月19日(天正5年10月10日) (享年35歳) |
レクイエム |