三悪事で悪名を轟かせた
松永久秀まつなが ひさひで
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誕生 1510年(永正7年)
生誕地  
 
 
幼名 多聞丸
元服名  
官名 弾正忠、山城守、弾正少弼
近親など 正妻:勝姫(三好長慶の娘)
弟:松永長頼
子:松永久通など
ゆかりの地  大和国 多聞山城
 大和国 信貴山城
略歴 出自は諸説あり。

●三好家への随身
1541年頃 (32歳)
阿波国三好長慶の祐筆として頭角をあらわす。
また、弟長頼は三好家の先鋒を務めるほどの名将だった。

●摂津
1553年 (44歳)
三好家の畿内平定とともに、摂津国の半国を支配下に。

●大和
1559年 (50歳)
三好長慶大和国平定を命ぜられ、大和国信貴山城に移る。

1560年 (51歳)
まだ幼かった筒井(藤慶)順慶を追い大和国を平定。そのまま大和国を支配。

1562年 (53歳)
奈良に多聞山城を築城、嫡男の松永久通を入れる。

主家の三好長慶が、管領細川家との戦(久米田の戦)で苦境に陥っているところを救援に成功。

●主殺し(?)
1564年 (55歳)
三好長慶が、嫡男義興の死や弟十河一存の急死、弟安宅冬康の死(長慶が自害させた)などにより、精神に異常を来たし死去。
(久秀が謀殺したという説もあり)

十河一存の子、三好義継が後を継ぐものの、三好家の実権は久秀や三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)が握る。

●将軍殺害
1565年 (56歳)
足利義栄を傀儡将軍にして幕府の実権を握るべく、子の松永久通や三人衆に二条御所(旧二条城)の足利義輝(13代将軍)を急襲させ殺害。(永禄の変

その後、三好三人衆との権力争いが勃発。

1566年 (57歳)
上芝の戦で三好義継と三好三人衆に敗北。

畿内は三好三人衆が平定。

久秀は和泉国堺に逃れ、懇意だった堺の会合衆の斡旋を要請し、三好義継との和睦に成功、大和国に残る。

●大仏殿焼却
1567年 (58歳)
東大寺の戦で三好三人衆に勝利。
この際、大仏殿が炎上。

1568年 (59歳)
足利義栄を14代将軍につかせる。

●信長への臣従
上洛してきた織田信長が、畿内の三好勢を四国へ逃亡させる。
(信長の上洛戦)
久秀は信長に降り、大和国河内国半国を安堵される。

●反旗と降伏
1572年 (63歳)
甲斐国武田信玄と連絡をとり、織田信長に反旗を翻す。

信長配下の交野城を攻めるが失敗。(交野城後ろ巻き)

1573年 (64歳)
上洛戦途上の武田信玄の死を受け、織田信長に降伏。

1575年 (66歳)
織田信長大和国の支配権を剥奪され、佐久間信盛の配下に入れられる。

●再度の反旗と平蜘蛛
1577年 (68歳)
再び織田信長に反抗するが、織田信忠勢に信貴山城を囲まれ自害。(爆薬を使って、信長が欲しがっていた名茶器「平蜘蛛」とともに爆死)(信貴山城の戦
死没 1577年11月19日(天正5年10月10日) (享年68歳)
レクイエム 安土城織田信長徳川家康に久秀を紹介する際、「この老人は、主君殺し、将軍殺し、大仏殿焼失の三悪を起こした飛んでもない老人である」、と言ったと伝えられる。

結果的に、反抗して謝って、反抗して謝っての繰り返しであったが、文武に優れいただけに、やり方によっては天下も手中にできたであろう人物。