松平と前田から一字ずつ頂き蠣崎氏から改名した
松前慶広まつまえ よしひろ
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誕生 1548年10月4日(天文17年9月3日)
生誕地 蝦夷地 大館(松前)
蠣崎季広
河野季通の娘
幼名 天才丸
元服名  
新三郎、蠣崎慶広、松前慶広
官名 従五位下、民部大輔、志摩守、伊豆守
近親など 子:松前盛広、松前忠広、松前利広、松前由広、松前次広、松前景広、松前安広、松前満広など
兄:蠣崎舜広、明石元広
ゆかりの地  蝦夷地 徳山館(大館)
 蝦夷地 松前城(福山館)
略歴 ●蠣崎家
1548年 (1歳)
蝦夷地南部の武将、蠣崎季広の三男として生まれる。

1551年頃 (4歳)
父、蠣崎季広、主家の安東舜季の援助を受け(異説あり)、敵対してきたアイヌの首長、チコモタインやハシタインと和睦。これにより道南を支配下に。

●二人の兄の死
1561年 (14歳)
長兄の蠣崎舜広が、実姉(南条広継の正室)に毒殺される。

1562年 (15歳)
次兄の明石元広が、実姉(南条広継の正室)に毒殺される。

明石元広は連座により自害。

●家督
1582年 (35歳)
父の隠居により家督を相続。

主家、安東(秋田)実季の命により、比内の浅利勝頼を誅殺。
これにより安東家は出羽国北部を平定。

1591年 (44歳)
安東(秋田)実季に随行し上洛、前田利家の斡旋を受け豊臣秀吉に謁見、従五位下・民部大輔に任じられる。

九戸政実の乱の討伐戦に参陣。

1593年 (46歳)
文禄の役では兵を率いて肥前国名護屋城に参陣、豊臣秀吉の賞賛を受け、蝦夷地における徴税権を得る。

1599年 (52歳)
徳川家康に、蝦夷地図を献上。

●改姓と隠居
徳川家康の旧姓、松平と、前田利家から一字ずつ拝領し、松前氏を名乗る。

1600年 (53歳)
家督を子の松前盛広に譲る。

1603年 (56歳)
江戸に参勤。

●松前藩主
1604年 (57歳)
アイヌ交易の独占権を得る。これにより大名格となり、松前藩の初代藩主として認められる。

1606年 (59歳)
海に近い福山館を拡張し松前城と名付け居城に。

1608年 (58歳)
家長の松前盛広が死没。

1609年 (62歳)
猪熊事件により左近衛少将花山院忠長が蝦夷、上ノ国に配流されるとこれを厚遇。これにより京都の公家社会に誼を通じる。

1614年 (67歳)
四男の松前由広を、豊臣方への内通の罪で誅殺。

1615年 (68歳)
大坂夏の陣に参陣。

1616年 (69歳)
死没。
死没 1616年11月20日(元和2年10月12日) (享年69歳)
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