実兄秀忠からも信頼されていた家康四男
松平忠吉まつだいら ただよし
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誕生 1580年(天正8年)
生誕地 遠江国
徳川家康(四男)、養父:松平家忠
西郷局(お愛の方・徳川家康側室)
幼名 次丸、福松丸
元服名 世良田忠吉
松平忠吉
通称 薩摩中将
官名 下野守、侍従、薩摩守、左近衛権中将など
近親など 実兄:徳川秀忠
弟:松平忠輝など
ゆかりの地  駿河国 三枚橋城
 武蔵国 忍城
 尾張国 清洲城
略歴 ●家康の四男
1580年 (1歳)
徳川家康の四男として生まれる。

三河国東条城主、松平家忠の養子に。

1581年 (2歳)
松平家忠の死により、家督を継ぐ。

●駿河
1582年 (3歳)
駿河国へ移封となり、4万石を拝領し三枚橋城主に。

●秀吉の人質
1584年 (5歳)
徳川秀忠とともに、人質として大坂の羽柴(豊臣)秀吉の元へ。

1591年 (12歳)
駿河国へ帰国。

●武蔵
1592年 (13歳)
武蔵国へ移封となり、10万石を拝領し忍城主に。

徳川四天王、井伊直政の娘と結婚。

●関ヶ原
1600年 (21歳)
関ヶ原の戦では、東海道の総大将を任され、福島正則ら外様大名を率いて西上。

合戦当日は、先鋒の福島正則を出し抜き宇喜多秀家を攻め、戦いの火蓋を切る。

東軍の勝利が決定したあと、敵陣突破を図った島津義弘の追撃を行うが途中で負傷。
義父の井伊直政も負傷。

●尾張
戦後は尾張国一国62万石を拝領し、清洲城主に。

1605年 (26歳)
兄、徳川秀忠が二代将軍に。
その際、左近衛権中将を任官され、将軍の補佐役に。

1607年 (28歳)
病死。悪性腫瘍だった言われる。

後嗣がなく家は断絶となり、その後尾張国は家康九男義直が拝領する。
死没 1607年(慶長12年)3月 (享年28歳)
レクイエム 徳川家康は、関ケ原の戦に遅参した秀忠を廃嫡し、この忠吉を後継に据えようとしたと言われている。