若くして暗殺された家康の父
松平広忠まつだいら ひろただ
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誕生 1526年6月9日(大永6年4月29日)
生誕地  
松平清康
青木貞景の娘(異説あり)
幼名 竹千代(千松丸・仙千代とも)
元服名 松平次郎三郎広忠
官名  
近親など 正妻:於大の方(家康の生母)、真喜姫(戸田康光の娘)
子:徳川家康(松平元康)など
ゆかりの地  三河国 岡崎城
略歴 ●三河岡崎
1526年 (1歳)
三河国岡崎城主、松平清康の子として生まれる。

●家督相続
1535年 (10歳)
父、松平清康が死没。家督を相続。

●守山崩れ
1539年 (14歳)
大叔父、松平信定が宗家押領のため広忠殺害を企てたことから(守山崩れ)、伊勢国の吉良持広の元へ逃れる。

1540年 (15歳)
その後駿河国の今川家を頼り、岡崎城に帰還。

1541年 (16歳)
刈谷城主、水野忠政の娘(於大の方)と結婚。

1542年 (17歳)
嫡男、竹千代(徳川家康)誕生。

●小豆坂
西三河に進出してきた織田信秀に対し、今川義元の支援を受け戦い勝利。(第一次小豆坂の戦

1544年 (19歳)
妻の兄で刈谷城主となった水野信元が、今川家と敵対していた尾張国織田信秀に与したことから、妻の於大の方を離縁。

1545年 (20歳)
真喜姫(戸田康光の娘)と再婚。

織田家に奪われていた安祥城奪回戦を起こすが敗北。(安祥城の戦(第三次))

●竹千代を人質に
1547年 (22歳)
竹千代(徳川家康)を今川義元の元に人質として送る途中、裏切った戸田康光(田原城主)に奪われ、織田家に送られてしまう。

1548年 (23歳)
岡崎城攻略のため侵攻してきた織田信秀に対し、今川義元が派遣した太原雪斎、朝比奈泰能の支援を受け戦い勝利。(第二次小豆坂の戦)

1549年 (24歳)
岩松弥八(松平家臣説、織田家の刺客説あり)に暗殺される。
死没 1549年4月3日(天文18年3月6日) (享年24歳)
レクイエム 第一次小豆坂の戦は実際には起こっていなかったという説もあり。

死因については、暗殺ではなく病死説もあり。

子の竹千代を今川家の人質として送ることになったのは、松平家の家臣に織田家に与する者が続出したことが原因。