東軍への内通も論功漏れした五奉行のひとり
増田長盛ました ながもり
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誕生 1545年(天文14年)
生誕地 尾張国 増田(近江国の増田という異説も)
 
 
幼名  
元服名  
仁右衛門
官名 右衛門尉、侍従など
近親など 正妻:森可成の娘
子:増田盛次、増田長勝など
ゆかりの地  近江国 水口岡山城
 近江国 大津城
 大和国 大和郡山城
略歴 1545年 (1歳)
尾張国増田で生まれる。(近江国益田説あり)

●秀吉への随身
1575年頃 (31歳)
羽柴(豊臣)秀吉に仕える。

1584年 (40歳)
小牧・長久手の戦で活躍。

1585年 (41歳)
近江国水口岡山城主に。

1589年 (45歳)
近江国大津城主に。

1592年〜1597年 (48歳〜53歳)
二度に渡る朝鮮への侵攻(文禄の役慶長の役)でも奉行をつとめる。

●郡山城主
1595年 (51歳)
22万3千石を拝領し、大和郡山城主に。

秀次事件では、石田三成らとともに豊臣秀次を糾問。

●五奉行
1598年 (54歳)
五奉行制がしかれると、そのひとりに。

豊臣秀吉死没後は、嫡子豊臣秀頼の補佐役に。

1600年 (56歳)
関ヶ原の戦の直前、前田玄以らとともに大坂城にありながら、西軍の動きを徳川家康に通報。

●追放
戦後は、その功を認められず所領を没収され、高野山へ追放される。

1614年 (70歳)
大坂冬の陣では、徳川家康から大坂方との交渉役を命じられるが拒否。

1615年 (71歳)
嫡男増田盛次が大坂方に味方したことから、切腹させられる。
死没 1615年(慶長20年)5月 (享年71歳)
レクイエム 秀吉の検地に才を発揮、また、朝鮮の役では物資輸送でも貢献した、典型的な官吏派の部将であった。