国府台合戦直前に里見家から離反した勝浦城主
正木時忠まさき ときただ
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誕生 1521年(大永元年)
生誕地 安房国
正木通綱
 
幼名  
元服名  
十郎
官名 左近大夫
近親など 兄:正木時茂など
子:正木時通、正木時成、正木時勝、正木時秀、正木頼忠、正木時富など
ゆかりの地 GOOGLE MAP 安房国 山之城
GOOGLE MAP 上総国 勝浦城
略歴 ●里見家家臣
1521年 (1歳)
安房国里見家の家臣で、山之城主、正木通綱の三男として生まれる。

●稲村の変
1533年 (13歳)
父、正木通綱が、里見家の実力者である里見実堯とともに、主君の里見義豊から殺害される。(稲村の変)

1534年 (14歳)
兄、正木時成とともに里見実堯の子、里見義堯に従い、犬掛の戦で里見義豊に勝利。(天文の内訌)

これにより、里見義堯が里見家当主に。

1541年 (21歳)
里見義堯からの命により、兄、正木時成が上総国真理谷朝信を攻め、天津城を攻略。

●勝浦城
1542年 (22歳)
真理谷家の支城、上総国勝浦城主となり、勝浦正木氏を名乗る。

その後、外房の海賊衆の棟梁となり、里見水軍の強化に貢献。

その後、真理谷家の残党や下総国の千葉家と北条家と抗争。

1556年 (36歳)
相模国三浦三崎で北条水軍と戦う。

1561年 (41歳)
兄、正木時成が死没。

これにより、正木氏の主流となり、その後、里見家からの独立を画策。

●里見家からの離反
1564年 (44歳)
第二次国府台合戦の直前、里見義堯から離反し、北条氏康に接近。
これにより、本家の大多喜正木家とも敵対関係に。

第二次国府台合戦で里見家が北条家に大敗。
その際、甥で大多喜正木家を継いでいた正木信茂が討ち死に。

1565年 (45歳)
北条氏政下総国上総国へ侵攻すると味方として参陣し、その際、子の正木時忠(時長)を人質として差し出す。

その後は、武蔵国栗橋城主となった北条氏照の傘下に。

1567年 (47歳)
三船山の戦で里見家が北条家に勝利。

1568年 (48歳)
主家の北条家が甲斐国武田信玄と敵対。これにより房総方面に対する北条家からの支援が減少。

●北条家からの離反
1574年 (54歳)
北条家から離反し、再び里見家へ帰参し、上総国の北条家の拠点、大坪へ侵攻。

1576年 (56歳)
死没。
死没 1576年8月24日(天正4年8月1日) (享年56歳)
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