古くから秀吉に仕えた通称「前将」
前野将右衛門
まえの しょうえもん
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誕生 1528年(享禄元年)
生誕地 尾張国
父:前野宗康 義父:坪内勝定(実父説もあり)
 
幼名 小太郎
前野長康
通称 前野小右衛門、前野将右衛門、前将
官名 従五位下、但馬守
近親など 子:前野景定など
ゆかりの地  播磨国 三木城
 但馬国 有子山城
略歴 ●川並衆
1528年 (1歳)
木曽川の川並衆、前野家に生まれる。

●秀吉の与力
1565年頃 (38歳)
この頃、同じ川並衆の蜂須賀正勝らとともに、木下藤吉郎(豊臣秀吉)の与力となる。

1583年(56歳)
賤ヶ岳の戦後、播磨国三木郡1万3千石を拝領し、三木城代に。

1584年 (57歳)
小牧・長久手の戦で貢献。

1585年 (58歳)
四国攻めでは、阿波国木津城攻めなどで貢献。

●出石城主
これらの功により、但馬国出石に5万3千石に加増転封となり、有子山城主に。

1588年 (61歳)
後陽成天皇の聚楽第行幸では、鳳輦に供奉し、供応役をつとめる。

1590年 (63歳)
小田原城攻めに参陣し、韮山城攻めなどを行う。

1592年 (65歳)
文禄の役に参陣。

これらの功により、但馬国出石、11万石に加増される。

●秀次事件への連座
その後、関白豊臣秀次付きとなる。

1595年 (68歳)
秀次事件では、秀次の弁明を行ったことから罪を問われ切腹。
その際、子の前野景定も切腹。
死没 1595年(文禄4年)8月 (享年68歳)
レクイエム 秀吉が織田家で頭角を現す前からの最古参のひとりで、数々の武勲を持つ勇将であったにも関わらず、秀次事件に連座することとなった。
秀吉の晩年が、いかに疑心や暗鬱に支配されていたことをうかがい知ることができる。