兄の養子となり前田家の大封を保った
前田利常まえだ としつね
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誕生 1594年1月16日(文禄2年11月25日)
生誕地  
実父:前田利家、養父:前田利長(実兄)
寿福院(前田利家側室)
幼名 猿千代、犬千代
前田利光、松平利光、前田利常
通称 微妙公、鼻毛の殿様
官名 従四位下、侍従、筑前守、右近衛権少将、参議、従三位、権中納言、肥前守など
近親など 正妻:珠姫(徳川秀忠の娘)
子:前田光高、前田利次、前田利治、前田利明など
兄:前田利長前田利政など
姉:摩阿(豊臣秀吉側室)、宇喜多秀家正室)など
ゆかりの地  越中国 守山城
 加賀国 金沢城
 加賀国 小松城
略歴 ●利家の四男
1594年 (1歳)
加賀国能登国越中国約115万石の太守、前田利家の四男として生まれる。

その後、越中国守山城代、前田長種の元で養育される。

1598年 (5歳)
父、前田利家と対面。

1599年 (6歳)
父、前田利家が隠居。兄、前田利長が家督を相続。

父、前田利家大坂城で死没。

母、芳春院(まつ)が家康の人質として江戸へ。

●人質
1600年 (7歳)
関ヶ原の戦直前の浅井畷の戦の和睦の際、小松城主で西軍についた丹羽長重の人質に。

関ヶ原の戦後、兄、前田利政能登国を没収され、京都嵯峨に隠棲。
家長の前田利長が、加賀国能登国越中国、合計約115万石を拝領。

●養嗣子
跡継ぎのいない、兄、前田利長の養子となり、前田利光と名乗る。

金沢城に入る。

徳川秀忠の娘、珠姫(3歳)と結婚。

●家督
1605年 (12歳)
養父で兄の前田利長が隠居し、家督を譲られ金沢城主に。(第二代金沢藩主)

松平姓を授かる。

1614年 (21歳)
兄、前田利長が死没。

大坂冬の陣では、真田幸村の築いた真田丸に攻め込むが敗北。

1615年 (22歳)
大坂夏の陣に参陣。

●改名
1629年 (36歳)
名を前田利常と改める。

1631年 (38歳)
将軍徳川秀忠の病気中に金沢城を修築したため謀反の疑いをかけられるが、許される。(寛永の危機)

その後、将軍家との婚姻を次々と結び、関係改善に努める。

●隠居
1639年 (46歳)
小松城に隠居し、嫡男の前田光高に家督を譲る。(80万石)
その際分封を行い、二男、前田利次を富山藩主(10万石)に、三男、前田利治を大聖寺藩主(7万石)とし、自らの隠居地分を20万石とする。

1645年 (52歳)
藩主の前田光高が急死。これを受け、再度藩政を執る。

1658年 (65歳)
死没。
死没 1658年11月7日(万治元年10月12日) (享年65歳)
レクイエム 初対面の際、父、利家からその器量を大いに認められたという。

太守だけに、将軍家からの警戒が強い中、巧みな外交はもちろんだが、わざと鼻毛を伸ばして馬鹿殿を演じるなどの細かい配慮により、120万石近くの大封を守り抜いた。