母、芳春院を家康の人質に出して家を守った
前田利長まえだ としなが
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誕生 1562年(永禄5年)
生誕地 尾張国 荒子
前田利家
まつ(芳春院)
幼名 犬千代
元服名 前田孫四郎利勝
通称 孫四郎
官名 肥前守、従四位下、侍従、左近衛権少将、権中将、参議
近親など 正妻:永姫(織田信長の娘)
弟:前田利政前田利光(利常)(後に養子とする)など
妹:摩阿(豊臣秀吉側室)、宇喜多秀家正室)など
ゆかりの地  越前国 府中城
 越中国 守山城
 越中国 富山城
 加賀国 金沢城
 越中国 高岡城
略歴 ●利家の嫡男
1562年 (1歳)
織田信長家臣、前田利家の嫡男として生まれる。

1581年 (20歳)
父、前田利家能登国七尾への転封により、父の旧領の越前国、府中3万石を受け継ぎ府中城主に。

1583年 (22歳)
賤ヶ岳の戦では、父とともに柴田勝家方につくが参戦せず、羽柴(豊臣)秀吉方につく。

1585年 (24歳)
越中国佐々成政攻めに参陣。

●越中
戦後は越中国に3郡を拝領し、守山城主に。(32万石)

1587年 (26歳)
九州攻めに参陣し貢献。

1590年 (29歳)
小田原城攻めに参陣。

1597年 (36歳)
越中国富山城を居城に。

●家督相続
1599年 (38歳)
前田利家が隠居し、家督を相続。
加賀国越中国合計約93万石)(能登国22万石は、弟の前田利政に分与)

父に替わって、拾(豊臣秀頼)の傅役となる。

徳川家康に勧められて帰国。

●母を江戸へ
徳川家康から謀反の疑いをかけられたことから、母の芳春院(まつ)を家康の人質として江戸へ送る。

1600年 (39歳)
関ヶ原の戦前に、東軍につき、西軍についた北陸の諸城を落とすが、弟、前田利政が東軍につかず七尾城に戻ったことから進軍停止。本戦には参陣できず。

●120万石の大大名
戦後は、弟、前田利政の旧領を含め、加賀国能登国越中国、合計約115万石もの大封を拝領。

金沢城を居城とする。

●隠居
1605年 (44歳)
隠居し、弟の前田利光(利常)に家督を譲り、越中国富山城に移る。(22万石)

1609年 (48歳)
火災により富山城を焼失。高岡城を築城し移る。

1614年 (53歳)
死没。
死没 1614年(慶長19年)5月 (享年53歳)
レクイエム 父亡きあと、第二の勢力である前田家の勢力を削ごうと流言(謀反の疑惑)を流した徳川家康に対し、その挑発にのることなく母まつとともに耐え忍んだことが、120万石の太守への布石となった。

晩年、家康の側近本多正信の子を家臣に加えるなど、自分の死後の前田家安泰を図ることも忘れなかった。