豊臣政権の重鎮、加賀大納言
前田利家まえだ としいえ
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誕生 1539年1月15日(天文7年12月25日)
生誕地 尾張国 荒子
前田利昌
長齢院
幼名 犬千代
前田又左衛門利家
官名 従四位下左近衛権少将、筑前守、従三位権中納言、従二位権大納言など
通称 槍の又左(またざ)、かぶき者の又左、加賀大納言など
近親など 正室:まつ(芳春院)
側室:寿福院など
兄:前田利久など
子:前田利長(2代目加賀藩主)、摩阿(秀吉側室)、(宇喜多秀家正室)、前田利政前田利常など
ゆかりの地 GOOGLE MAP 尾張国 荒子城
 越前国 府中城
 能登国 七尾城
 能登国 小丸山城
 加賀国 金沢城(尾山城)
略歴 ●荒子
1538年 (1歳)
尾張国荒子城主、前田利昌の子として生まれる。

●信長の親衛隊
織田信長
の側小姓から親衛隊(赤母衣衆)の一員となり、戦では「槍の又左」と言われるほどの活躍をみせる。

1558年 (21歳)
まつ(芳春院)と結婚。

●追放と帰参
1559年 (22歳)
茶坊主の十阿弥と諍いを起こし斬ったことから、信長の怒りを買い追放される。

1560年 (23歳)
桶狭間の戦などで貢献したことから許される。

父、前田利昌が死没、兄、前田利久が家督を相続。

1562年 (25歳)
長男、孫四郎(前田利長)誕生。

●家督相続
1569年 (32歳)
織田信長の指示により利家が前田家を継ぐ。

1570年 (33歳)
織田信長に従い越前国朝倉義景攻めに参陣。(金ヶ崎の退き口

1571年 (34歳)
近江湖南の一向一揆の拠点金ヶ森攻めに参陣。(金ヶ森の戦)。

1573年 (36歳)
織田信長に従い越前国攻めに参陣。

●越前
1575年 (38歳)
長篠の戦に参陣。

越前国一向一揆討伐後、越前国府中10万石の3分の1、3万3千石を拝領し大名に。( 同じく越前国府中を与えられた佐々成政不破光治とともに府中三人衆と呼ばれる)

府中城を築城し居城に。

織田家の北陸方面司令官柴田勝家の与力として、越後国の上杉家と対峙。

●能登
1581年 (44歳)
能登国23万石を拝領し、七尾城を居城に。

1582年 (45歳)
小丸山城を築城して居城に。七尾城を廃城。

魚津城の戦に参陣。

本能寺の変

能登国石動山城合戦で、旧畠山家家臣らに勝利。

後は、小姓時代からの友人で、姻戚関係もある羽柴(豊臣)秀吉と、直属の上司である柴田勝家の間の仲裁役をつとめる。

●秀吉への随身
1583年 (46歳)
賤ヶ岳の戦では最終的に秀吉側につく。

勝家なきあと、能登国のほかに加賀国に2郡を加えられ、金沢城を本拠とする。

1584年 (47歳)
秀吉に敵対していた越中国佐々成政に、末森城を攻められるが撃退。(末森城の戦)

1585年 (48歳)
羽柴(豊臣)秀吉の越中攻めに従軍し功を立てる。

戦後は、子の前田利長越中国の4郡の内3郡、32万石が与えられる。
これにより前田家は、加賀国能登国越中国の大部分、合計約115万石もの太守に。

1587年 (50歳)
豊臣秀吉九州攻めの際は大坂留守居を任される。

1590年 (53歳)
小田原城攻めに従軍、北条氏の松井田城鉢形城八王子城攻めなどで貢献。

●五大老
秀吉政権下の重臣の中でも最も信頼され、五大老のひとりとなり、秀吉の後嗣豊臣秀頼の守役を任せられる。

1598年 (61歳)
豊臣秀吉死没。

1599年 (62歳)
関ヶ原の戦直前には、石田三成に頼られ反徳川家康の旗頭となるが、豊臣家の将来のためには徳川家との協調が好ましいと判断し、病身を押して家康を伏見に訪問し和解。

大坂で病没。
レクイエム 若い頃からの秀吉の親友であり、秀吉亡きあとの豊臣家にはなくてはならぬ重鎮であったが、老いには勝てなかった。

妻まつ(芳春院)の賢妻振りは有名だが、夫婦仲はさほど良かったわけではないようである。
死没 1599年4月27日(慶長4年閏3月3日) (享年62歳)