前田家から出奔した風流人
前田慶次郎まえだ けいじろう
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誕生 1533年(天文2年)(異説あり)
生誕地  
実父:滝川益氏(滝川一益の弟または従弟または甥)(異説あり)
養父:前田利久(前田利家の兄)
 
幼名  
利益、利太、利大、利貞、利卓、宗兵衛、慶次郎、慶二郎、啓次郎、慶次、穀蔵院飄戸斎、龍砕軒不便斎など
通称 慶次、慶次郎
官名  
近親など 正妻:前田安勝(前田利家の兄)の娘
子:前田正虎など
ゆかりの地  越中国 阿尾城
略歴 ●滝川一益の甥
1533年 (1歳)
滝川益氏(滝川一益の弟または従弟または甥)の子として生まれる。

この頃、滝川一益織田信長に仕える。

●前田利久の養子
その後、尾張国荒子城主で、子のなかった前田利久の養子に。

1567年 (35歳)
織田信長の命により養父、前田利久が隠居し弟の前田利家が前田家を相続。
養父とともに荒子城から退去。

●前田利家への仕官
1581年頃 (49歳)
能登国23万石を拝領し、七尾城を居城とした前田利家に、養父、前田利久とともに仕える。(5千石)

利家の兄で、七尾城代の前田安勝の娘と結婚。

1582年 (50歳)
本能寺の変

1583年 (51歳)
賤ヶ岳の戦で、主君、前田利家は秀吉側につき、戦後能登国のほかに加賀国に2郡を加えられ、金沢城を本拠とする。

1584年 (52歳)
秀吉に敵対していた越中国佐々成政に、能登国末森城を攻められるが、その救援に向かい、神保氏張らに勝利。(末森城の戦)

●阿尾城代
越中国阿尾城代に。

1585年 (53歳)
主君、前田利家とその子の前田利長加賀国能登国越中国の大部分、合計約115万石もの太守に。

1587年 (55歳)
養父、前田利久が死没。旧領2千石は、慶次郎の嫡男、前田正虎が相続。

1590年 (58歳)
小田原城攻め前田利家に従軍。

●出奔
その後、前田利家前田利長との説もあり)との確執により出奔、浪人に。

●上杉家への仕官
1598年頃 (66歳)
陸奥国岩代会津に転封となった上杉景勝に仕え、組外衆筆頭に。(千石)

1600年 (68歳)
関ヶ原の戦の際、長谷堂城の戦で貢献。

戦後、出羽国羽前米沢30万石に減封となった上杉景勝にそのまま仕える。

1605年 (72歳)
死没。(異説あり)
死没 1605年(慶長10) (享年72歳)
レクイエム 前田家を出奔し、穀蔵院飄戸斎(こくとういん・ひょっとさい)などと名乗るなど、かぶき者として知られる。

出奔する際、主君の利家を騙して水風呂に招くなど、かぶき者としても逸話が多い。

1601年に書かれた「前田慶次道中日記」は、当時の風俗や世情を知る貴重な史料としてばかりでなく、慶次郎の俳句や和歌も盛り込まれた紀行文であり、文化人・風流人慶次郎を知ることができる。