17年間も所司代を務めた元僧侶
前田玄以まえだ げんい
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誕生 1539年(天文元年) ?
生誕地 美濃国
前田基光
 
幼名  
元服名  
徳善院、半夢斎、前田孫十郎基勝、前田宗向など
官名 民部卿法印
近親など 正室:村井貞勝の娘
子:前田茂勝など
ゆかりの地  丹波国 亀山城
略歴 ●僧籍
1539年 (1歳)
美濃国に生まれる。

その後、比叡山延暦寺の僧侶(は美濃国の僧侶説、尾張国の僧侶説あり)となる。

●信忠への随身
その後織田信長の要請を受け、信長の嫡子織田信忠に仕える。

●本能寺の変
1582年 (44歳)
本能寺の変後、信忠の嫡子、三法師(織田秀信)を託され、尾張国清洲へ逃れる。

●京都所司代
1583年 (45歳)
織田信雄から京都所司代に任ぜられる。

その後羽柴(豊臣)秀吉に仕え、引き続き京都所司代をつとめる。

1588年 (50歳)
後陽成天皇の聚楽第行幸の奉行を務める。

1592年〜1597年 (54歳〜59歳)
二度に渡る朝鮮への侵攻(文禄の役慶長の役)でも、奉行をつとめる。

●亀山城主
1595年 (57歳)
丹波国亀山城主に。(5万石)。

●五奉行
1598年 (60歳)
五奉行制がしかれると、そのひとりに。

1600年 (62歳)
関ヶ原の戦の直前大坂城にありながら、西軍の動きを徳川家康に通報。

戦後は、その功を認められ、所領の亀山を安堵される。

1602年 (64歳)
死没。
死没 1602年(慶長7年) (享年64歳)
レクイエム 関ヶ原の戦の直前、同じように大坂城に残り、西軍情報を家康に流していた増田長盛は功を認められなかった。

家康は、玄以が有職故実に詳しく朝廷との繋がりも深く、その利用価値を認めたためといわれている。