一向一揆に討たれた越前の守護代
前波吉継まえば よしつぐ
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画像  
誕生 ????年(??年)
生誕地  
前波景定
 
幼名  
前波九郎兵衛尉、桂田長俊
官名 播磨守
近親など 兄:前波景当
ゆかりの地  越前国 一乗谷館
略歴 ●朝倉家
????年 (1歳)
越前国朝倉家の家臣、前波景定の二男として生まれる。

●主家への裏切り
1572年 (??歳)
織田信長の小谷城攻めの際、朝倉義景に従い近江国へ従軍するが、白昼堂々と織田信長の陣に入り降伏。

1573年 (??歳)
一乗谷攻めでは、織田信長の道案内役を務める。

●守護代
朝倉家滅亡後、越前国の守護代に任じられ、一乗谷館にて政務を執る。

京都にて桂田長俊と改名。

越前国へ向かう途中、病により失明。

1574年 (??歳)
悪政のため起こった一向一揆や、朝倉家の旧臣、富田長繁から攻められ討ち死に。
レクイエム 朝倉義景の勘気を受けていたのが裏切った理由といわれる。

失明したことや一揆勢に殺害されたのは、朝倉家の祟りと噂された。
死没 1574年2月11日(天正2年1月20日) (享年??歳)