信長に最後まで抵抗した
教如きょうにょ
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1558年10月27日(永禄元年9月16日)
生誕地 摂津国 石山
顕如
 
幼名 茶々麿
光寿
近親など 子:尊如、観如、宣如
ゆかりの地  摂津国 石山本願寺(のちの大坂城
 山城国 東願寺
略歴 ●顕如の三男
1558年 (1歳)
浄土真宗(一向宗)の総本山、摂津国石山本願寺の第11世住職、顕如の三男として生まれる。

●信長との対立
1570年 (13歳)
天下統一のために、寺社による領土支配を剥奪しようとしていた織田信長と敵対。
信長は、政治・経済の要害である石山本願寺の明け渡しを要請してきた。
石山合戦の始まり)

父、顕如越前国加賀国、伊勢国長島をはじめ、全国の農民を中心とした宗徒に一揆(一向一揆)を蜂起させる一方、信長と敵対関係になっていた将軍足利義昭甲斐国武田、中国毛利などと同盟、信長包囲網を築く。

●住職・信長への抵抗
1580年 (23歳)
父、顕如が信長に降伏、紀伊国へ退去。(石山合戦の終結)
これにより第12世住職に。

その後、石山本願寺が炎上。

織田信長への抵抗を続ける。
これにより、父、顕如から義絶される。

1582年 (25歳)
本能寺の変

父、顕如が石山に帰還。

後陽成天皇の勧めにより、顕如からの義絶を解かれる。

1585年 (28歳)
羽柴(豊臣)秀吉の奨めを受け、大坂天満に本願寺を遷す。

1591年 (34歳)
父、顕如豊臣秀吉の命により、京都堀川七条に本願寺を遷し、教団を本格的に再興。

●父の死
1592年 (35歳)
父、顕如が死没。

その後、父の側近を重用しなかったことから、教団は二派に分かれて対立。

●隠居
1593年 (36歳)
豊臣秀吉の仲裁を受け、10年後、弟の准如に住職の座を譲るよう命じられるが、自派の坊官が不服を言い立てたことから秀吉の怒りを買い、即刻の隠居を命じられる。

これにより、弟の准如が住職に。

1598年 (41歳)
豊臣秀吉、死没。

●東本願寺
1602年 (45歳)
徳川家康により、京都烏丸に寺領を与えられ、七条堀川にあった本願寺の堂舎の一部を移す。

1603年 (46歳)
厩橋の妙安寺から親鸞聖人木像を当地に遷し、東本願寺を設立。

1614年 (57歳)
死没。
死没 1614年11月6日(慶長19年10月5日) 享年57歳
レクイエム