信長の退却を助けた湖西の領主
朽木元綱くつき もとつな
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誕生 1549年(天文18年)
生誕地 近江国 
朽木晴綱
飛鳥井雅綱の娘
幼名
牧斎
通称  
官名 河内守
近親など 子:朽木宣綱、朽木友綱、朽木稙綱
ゆかりの地  近江国 朽木館
略歴 ●名家
1549年 (1歳)
近江国高島郡朽木谷の領主で、室町幕府の奉公衆、朽木晴綱の子として生まれる。

●家督
1550年 (2歳)
父、朽木晴綱が高島家との戦において戦死。
これにより幼くして家督を相続。

1553年 (5歳)
三好長慶との抗争に敗れた、将軍足利義輝を匿う。

1560年 (8歳)
湖北の浅井長政が、六角家から独立。

1565年 (17歳)
将軍足利義輝、 二条御所(旧二条御所)を松永久秀に急襲され、攻め討たれる。(永禄の変

●浅井氏の圧迫
1566年 (18歳)
浅井長政の侵攻を受け、一時臣従。

1567年 (19歳)
浅井長政織田信長と同盟。

1568年 (20歳)
織田信長が上洛。(信長の上洛戦
その後将軍となった足利義昭から「朽木谷を安堵する」との沙汰を受けたことから、浅井家への臣従を破棄。

●朽木越え
1570年 (22歳)
越前国朝倉義景征伐に向かった織田信長に対し突如浅井長政が敵対、織田信長は京都へ向けて逃走。(金ヶ崎の退き口
その際、信長の臣下となっていた松永久秀の依頼を受け、信長の逃走を助ける。
(朽木越え)

浅井・朝倉連合軍3万の侵攻を受け降伏。(推定)(志賀の陣

姉川の戦で浅井家が敗北。

●磯野氏
1571年 (23歳)
木下藤吉郎(豊臣秀吉)の誘降により織田家についた、佐和山城磯野員昌の配下に。

●織田氏
1578年 (30歳)
磯野員昌織田信長に追放されると、その後高島郡に入った織田信長の甥、津田信澄の配下に。

●秀吉
1582年 (34歳)
本能寺の変後は、羽柴(豊臣)秀吉に仕える。
これにより朽木谷の本領を安堵される。(2万石)

その後、伊勢国安濃津の蔵入地の代官を兼ねる。

1590年 (42歳)
豊臣秀吉小田原城攻めに参陣。

●関ヶ原の寝返り
1600年 (52歳)
関ヶ原の戦では西軍として参陣するが、小早川秀秋に呼応する形で脇坂安治小川祐忠赤座直保らとともに東軍に寝返る。

1614年 (59歳)〜
二度の大坂の陣(大坂冬の陣大坂夏の陣)では、嫡男の朽木宣綱とともに参陣。

1616年 (68歳)
剃髪し牧斎を名乗る。

1632年 (84歳)
死没。
死没 1632年10月12日(寛永9年8月29日) (享年84歳)
レクイエム