早くから秀吉につき大名となった村上水軍の一将
来島通総くるしま みちふさ
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像  
誕生 1561年(永禄4年)
生誕地 瀬戸内海 来島
村上通康
河野通直(弾正少弼)の娘
幼名 牛松丸
助兵衛、村上通昌、来島通昌、来島通総
官名 従五位下、出雲守
主な近親 兄:得居通幸など
弟:村上通清、河野通直(伊予守)
妹:松渓妙寿(穂井田元清の正室)、おふう(村上武吉の正室)
正妻:平賀氏
子:来島通則、来島長親(久留島康親)
ゆかりの地 GOOGLE MAP 瀬戸内海 伊予国 来島城
GOOGLE MAP 伊予国 鹿島城
略歴 ●来島村上家
1561年 (1歳)
瀬戸内海の海賊、三島村上水軍(能島、来島、因島)のひとつ、来島村上家当主、村上通康の四男として生まれる。

●家督
1567年 (7歳)
父の死により、四男ながら母が主筋である河野家の娘だったことから家督を相続。(推定)

1569年 (9歳)
村上水軍の棟梁、村上武吉が、毛利元就死後の毛利家に反旗を翻すが、小早川隆景に攻められ降伏。

1570年 (10歳)
主家、河野家の公用銭を横領するなど、河野家からの独立を模索し始める。

1579年 (17歳)
主家、河野家から離反。

●秀吉の誘降
1582年 (22歳)
羽柴(豊臣)秀吉からの諜略を受け、織田家につく。
これにより、能島村上家の村上武吉や因島村上家とも対立。

その後、毛利家や河野家から攻められ、来島から脱出し羽柴(豊臣)秀吉の元へ逃亡。

本能寺の変

中国大返し

山崎の戦

1584年 (24歳)
毛利家が羽柴(豊臣)秀吉の臣下となると、来島へ帰還。

その後、瀬戸内水軍の

●大名
1585年 (25歳)
羽柴(豊臣)秀吉四国攻めでは、毛利家の小早川隆景の案内役を務め、元主家の河野家攻めなどで貢献。

戦後、伊予国野間郡、風早郡に1万4千石を拝領し大名となり、鹿島城主に。

●海賊禁止令
1587年 (27歳)
羽柴(豊臣)秀吉が海賊禁止令を交付。

九州攻めに従軍、豊前国宇留津城攻めなどで貢献。

1590年 (30歳)
小田原城攻めにも水軍を率いて従軍。

●戦死
1592年(32歳)
文禄の役では、兄、得居通幸とともに朝鮮へ渡海するが、兄が戦死。

1597年 (37歳)
慶長の役では、子の来島長親とともに渡海するが、鳴梁海戦において朝鮮水軍の板屋船の攻撃を受け戦死。
死没 1597年10月26日(慶長2年9月16日) (享年37歳)
レクイエム