西軍調略に奔走した如水の嫡子
黒田長政くろだ ながまさ
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誕生 1568年12月21日(永禄11年12月3日)
生誕地 播磨国 姫路
黒田官兵衛
櫛橋伊定の娘
幼名 松寿丸
吉兵衛、黒田長政
官名 甲斐守・筑前守
近親など 正室:蜂須賀正勝の娘、栄姫(徳川家康の養女)
子:忠之など
ゆかりの地  播磨国 姫路城
 筑前国 福岡城
略歴 播磨国姫路城主、黒田官兵衛の子として生まれる。

●秀吉の人質
1577年 (9歳)
織田信長の部将だった木下(豊臣)秀吉の人質として、近江国長浜城に入る。

1578年 (10歳)
信長の部将荒木村重が謀反し、それに父の官兵衛も加担したという疑いをかけられ、信長から処刑命令が下されるが、秀吉の軍師竹中半兵衛の機転により助命され、美濃国菩提山城に隠遁。

1582年 (14歳)
秀吉の毛利方の備中高松城の水攻めに参加。

1583年 (15歳)
賤ヶ岳の戦で功をあげ、河内国に450石を拝領。

●家督相続
1589年 (21歳)
豊前国12万石の領主になっていた父黒田官兵衛が隠居し、家督を相続。

1592年 (24歳)
文禄の役で朝鮮へ渡海。

●三成との対立
1597年 (29歳)
慶長の役でも朝鮮へ渡海。
ここで、福島正則らと同様に石田三成ら官吏と対立。

1600年 (32歳)
蜂須賀正勝の娘と離婚し、栄姫(保科正直の娘・徳川家康の養女)と再婚。

徳川家康の、会津上杉景勝征伐に参加。
石田三成挙兵に対して、東軍(家康方)につく。

また、関ヶ原の戦では戦働きでの功だけでなく、直前に小早川秀秋吉川広家ら西軍主力の毛利勢の調略に成功。

●筑前国福岡
戦後はその功により、筑前国に52万石を拝領。
福岡発展の基礎を作った。

●大坂の陣
1614年 (46歳)
大坂冬の陣では、大坂城に留守居として残る。

1615年 (47歳)
大坂夏の陣では、徳川秀忠に従い参陣。

1623年 (55歳)
病死。
死没 1623年8月29日(元和9年8月47日) (享年55歳)
レクイエム 幼い頃から競争意識を植え付けられて育てられたため、長浜城での人質生活でもへこたれることなく市松(福島正則)や虎之助(加藤清正)らとも堂々渡りあっていた。