娘を吉川元春に嫁がせた、元安芸武田家家臣
熊谷信直くまがい のぶなお
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誕生 1507年(永正4年)
生誕地 安芸国
熊谷元直
宮光信の娘
幼名 千代寿丸
通称  
官名 従五位下、伊豆守
近親など 弟:熊谷直続など
子:熊谷高直、熊谷直清、熊谷広真、三須隆経、熊谷就真、芳桂(新庄局・吉川元春の正室)など
ゆかりの地  安芸国 三入高松城
略歴 ●熊谷家
1507年 (1歳)
安芸国守護武田元繁の家臣で、三入高松城主、熊谷元直の嫡男として生まれる。

1517年 (11歳)
父、熊谷元直や主君、武田元繁毛利元就との戦闘で討ち死に。(有田中井手の戦
これを受け、家督を相続。(推定)

1524年 (18歳)
周防国の大内家が、武田元繁の居城、佐東銀山攻めを行い、その際敵勢が三入にも侵入するが、これを攻めて追う。

●毛利家
父の仇でもある毛利元就の支配下に入り、香川光景や三須房清とともに大内家と戦い勝利


1527年 (21歳)
武田家家臣で船山城主の山中成祐から暗殺されそうになるが、回避。

1530年 (24歳)
山中成祐を討ち取る。

1533年 (27歳)
主君、武田光和と敵対、武田勢に三入高松城を攻められるが撃退。(横川表の戦)
これを機に、さらに毛利元就との連携を深める。

1541年 (35歳)
出雲国の尼子家が安芸国攻めを行った際は、三入高松城に籠城。(吉田郡山城の戦)。

●旧主攻め
毛利元就の命により、宍戸隆家、香川光景とともに旧主、武田家の佐東銀山を攻め落とし、武田家は滅亡。

1542年 (36歳)
周防国大内義隆に従い尼子攻めを行うが、赤穴城の戦で弟の熊谷直続が戦死。
尼子攻めは不調に終わり、撤退途上、鳶ノ巣川で一揆勢の奇襲を受けるが難を逃れる。(月山富田城の戦(第一次)

●毛利一門
1547年 (41歳)
娘の芳桂(新庄局)を、毛利元就の次男、吉川元春に嫁がせる。
これにより、毛利一門に。

1548年 (42歳)
毛利元就とともに大内義隆の山口を訪問。

1550年 (44歳)
幽閉していた吉川興経を、毛利元就の命を受け殺害。

1551年 (45歳)
大内義隆が、家老の陶晴賢の謀反により自害。(大寧寺の変)

その後毛利氏は、陶晴賢と領土問題から敵対するように。

1552年 (46歳)
備後国にて、尼子家と対陣。

1553年 (47歳)
吉川元春備中国遠征に従軍、庄為資の猿掛城を攻略。

●厳島の戦
1554年 (48歳)
厳島の戦の前哨戦、折敷畑の戦に参陣し貢献。

1555年 (49歳)
厳島の戦

岩国の杉隆泰の鞍掛山城を攻略。

1557年 (51歳)
陶晴賢の傀儡であった大内義長が自害、大内家が滅亡。(勝山城の戦)

●石見攻め
1558年 (52歳)
石見国出羽で小笠原長雄や福屋隆兼と戦い勝利。

益田藤兼を攻め降ろす。

1560年 (54歳)
伊豆守に叙任される。

1561年 (55歳)
本城常光を暗殺。

●出雲攻め
1562年 (56歳)
出雲攻めに従軍、白鹿城攻めなどで貢献。

その後も尼子家の月山富田城攻めを行う。(第二次月山富田城の戦

1566年 (60歳)
尼子家が降伏。

●北九州
1568年 (62歳)
吉川元春の北九州遠征に従軍、大友宗麟の勢力と対立。(立花城の戦

大内輝弘の周防国中入りを受け立花城から撤退、周防国へ戻り大内輝弘を攻め討つ。

1571年 (65歳)
主君毛利元就が死没。

1579年 (73歳)
嫡男の熊谷高直が病死、跡を継いだ、孫の熊谷元直を補佐。

1593年 (87歳)
死没。
レクイエム 源頼朝に従い平氏と戦って大功を立てた熊谷直実の直系子孫である。
死没 1593年6月25日(文禄2年5月26日) (享年75歳)