仏高力の異名をとる岡崎三奉行の一人
高力清長こうりき きよなが
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誕生 1530年(享禄3年)
生誕地 三河国
高力安長
板倉氏
幼名 小平次
新三、与左衛門、清長、仏高力
官名 従五位下、河内守
近親など 正室:阿部道金の娘
子:高力正長など
ゆかりの地 GOOGLE MAP 三河国 高力城
GOOGLE MAP 遠江国 馬伏塚城
略歴
●三河
1530年 1歳 三河国松平家の家臣、高力安長の長男として生まれる
●森山崩れ
1535年 5歳 主君の松平清康が、尾張国織田信秀に調略された家臣の阿部正豊により暗殺される
織田信秀の侵攻を受け、父の高力安長と祖父の高力重長が戦死
これにより家督を相続するが、幼年だったため叔父の高力重正の後見を受ける
    ●駿府
1552年 23歳 駿河国今川義元の人質となっていた松平竹千代(徳川家康)の元へ
1560年 31歳 今川義元の上洛戦では松平元康(徳川家康)に従い、大高城への兵糧入れなどで貢献活躍
桶狭間の戦を受け、松平元康(徳川家康)に従い三河国に留まる
    ●三河
1562年 33歳 織田信長との清洲同盟締結の際は、主君、松平元康(徳川家康)に随行
1564年 35歳 三河国一向一揆の平定戦では、仏像などの保護に務めたことから、仏高力の異名をとる
岡崎奉行に
1565年 36歳 本多作佐衛門天野康景も岡崎奉行となり、あわせて岡崎三奉行と呼ばれる
1568年 39歳 今川家支配下の遠江国攻めでは、久野城主、久野宗能の誘降などで貢献
1569年 40歳 掛川城の戦で貢献
1570年 41歳 姉川の戦で貢献
1572年 43歳 長年の強敵武田信玄上洛戦途上、三方ヶ原の戦で負傷
    ●遠江
1580年 51歳 遠江国馬伏塚城主に
1582年 53歳 本能寺の変で信長が討ち死に
徳川家康の神君伊賀越えでは殿軍を務めるが、賊から鉄砲で撃たれ負傷
    ●駿河
駿河国田中城主に
1584年 55歳 小牧・長久手の戦後、羽柴家との使者を務めた際羽柴(豊臣)秀吉に気に入られる
1586年 57歳 羽柴姓と従五位下、河内守を拝領
秀吉に請われ、聚楽第の普請奉行に
1590年 61歳 小田原城攻めでは、北条家との交渉役を務める
    ●岩付
徳川家康が関東に転封されると、武蔵国岩付城主に(2万石)
1592年 63歳 二度に渡る朝鮮への侵攻(文禄の役慶長の役)では、肥前国名護屋城へ随行し、軍船建設などで貢献
1599年 70歳 嫡子の高力正長が死没
1600年 71歳 関ヶ原の戦
隠居し、孫の高力忠房に家督を譲る
1608年 79歳 死没
死没 1608年3月12日(慶長13年1月13日) (享年79歳)
レクイエム 岡崎三奉行時代、仏高力(寛大)、鬼作左(短気)、どちへんなし(公平無私)の天野三兵と謳われたように、情け深い武将として領民からも慕われた。