人望厚かった河野家最後の当主
河野通直こうの みちなお
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誕生 1564年(永禄7年)
生誕地  
実父:村上通康、養父:河野通直(先代・弾正少弼)
宍戸隆家の娘
幼名 牛福丸
元服名  
官名 伊予守
主な近親  
ゆかりの地  伊予国 来島城
 伊予国 湯築城
略歴 ●来島村上家
1564年 (1歳)
伊予国河野家の家臣で来島村上水軍を率いる、村上通康の子として生まれる。

1567年 (4歳)
父、村上通康が死没。

●河野家
1568年 (5歳)
母が、主君で湯築城主の河野通直(先代)に再嫁したため、河野家の後継者に。

河野家は、大友家の後ろ盾を得ていた土佐国の一条兼定や、伊予国大洲城の宇都宮豊綱に攻められていたが、母は毛利家の家臣、宍戸隆家の娘だったことから、毛利家の後ろ盾を得てこれに対抗、鳥坂峠の戦で勝利。

養父、河野通直(先代)が隠居し、家督を相続。

1572年 (9歳)
養父、河野通直(先代)が死没。

1573年 (10歳)
家臣で菅田城主の大野直之が離反し長宗我部元親と通じるなど、弱体化が進む。

のちに大野直之が降伏してくると、数々の謀反を起こしたにもかかわらずこれを許す。

●滅亡
1585年 (22歳)
豊臣秀吉四国攻めの際、家中の意見をまとめ切れず湯築城に籠城したため、小早川隆景に攻められ降伏、戦後、所領を没収される。

これにより、伊予国守護までつとめた河野家は滅亡。

1587年 (24歳)
小早川隆景の本拠、安芸国竹原で病死。
死没 1587年8月17日(天正15年7月14日) (享年22歳)
レクイエム 小早川隆景の説得により降伏する際、城内にいた45人の子供の助命のため自ら謁見の場に出るなど人徳溢れる人物で、家臣からの人望も厚かったという。

それだけに家中の意見をまとめ切れなかった、とは何とも皮肉。