太閤秀吉の恋女房
高台院こうだいいん
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1549年(天正18年)
生誕地 尾張国
杉原助左衛門定利
 
幼名 寧子(ねね)
北政所(通称)など 「おね」とも
官名 従一位
近親など 夫:豊臣秀吉
兄:木下家定
養子:多数
甥:小早川秀秋(羽柴秀俊)など
ゆかりの地  山城国 高台寺
GOOGLE MAP 山城国 太閤御所(京都新城)
略歴 ●尾張
1549年 (1歳)
尾張国の武士、木下定利の子に生まれる。

その後、織田信長の家臣、浅野長勝の養女に。

●秀吉との結婚
1561年 (13歳)
木下藤吉郎(豊臣秀吉)に嫁ぐ。

その後、秀吉の子飼の家臣たちを、子供同然に育てる。

●秀吉関白に
1585年 (37歳)
秀吉が関白となると、北政所と呼ばれるように。

1588年 (40歳)
従一位に。

1589年 (41歳)
秀吉の側室茶々(淀殿)が、山城国の淀城に移り、長子豊臣鶴松を出産。

1591年 (43歳)
豊臣鶴松が夭折。

1593年 (45歳)
茶々(淀殿)が、二男拾(豊臣秀頼)を出産。

1595年 (47歳)
茶々(淀殿)、拾(豊臣秀頼)が淀城(古城)から大坂城に移る。

●秀吉の死
1598年 (50歳)
秀吉が死ぬと落飾し、高台院を称す。

●大坂城からの退去
1599年 (51歳)
大坂城の西の丸を徳川家康に譲り、京都三木本の太閤御所(京都新城)に移り住む。

1600年 (52歳)
関ヶ原の戦の直前、西軍についた甥の小早川秀秋に、恩のある徳川家康に味方するよう諭す。

●高台寺
1605年 (57歳)
秀吉の冥福を祈るために、京都東山に高台寺を建立。

1615年 (67歳)
大坂夏の陣で豊臣家滅亡。

1624年 (76歳)
死没。
死没 1624年(寛永元年)9月 (享年76歳)
レクイエム 秀吉死後の豊臣政権は、徳川家康を中心とした勢力と、淀殿豊臣秀頼を中心とした勢力に分かれていたが、高台院は実力者家康の元での豊臣家の安泰を望んでいた。

それは、夫秀吉が旧主織田家を少しずつ弱体化させていったように、実力のある者が天下をとるのが自然であると分かっていたためと思われる。

関ヶ原の戦で東軍の勝利をもたらした小早川秀秋の寝返りは、高台院の説諭が大きく影響したが、高台院も家康が最終的に豊家を滅ぼすとは、その時点では思ってもいなかった。

また、高台院に子供の頃から世話になっていた尾張時代からの子飼部将たち(加藤清正福島正則ら)が家康に従ったのも、高台院の影響を受けたためと考えられる。