信長を裏切った浅井家の最後
小谷城の戦おだにじょうのたたかい
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西暦 1573年
和暦 元亀元年6月
関連写真
小谷山の遠景(東南方向から)
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略図
概要 ●城攻め
一乗谷攻めで朝倉家を滅ぼした織田信長は、近江国へ戻り小谷城攻撃を開始した。

●京極丸
小谷城は尾根伝いにいくつかの曲輪が連立した山城で、この時点で4千の兵が立てこもっていたが、浅井久政の小丸と浅井長政の本丸の間にある京極丸が、羽柴秀吉(豊臣)に攻略された。

京極丸には600の兵がいたが、秀吉は蜂須賀正勝(小六)らに前面から攻撃させておき、自らは竹中半兵衛加藤光泰らを率いて虎口からの突入に成功したのである。
また、京極丸への攻撃を悟られないように、弟の小一郎(豊臣秀長)に多くの兵をつけて小丸を断続的に攻めさせるなどの陽動作戦にもぬかりはなかった。

城の麓から攻めあがらなかった理由は、長政とともに本丸にいる信長の妹、お市の方を救出するためだったと言われる。

●小丸
京極丸を落とした秀吉は、夜中になってから小丸を攻め始める。
浅井久政も抗戦するが、京極丸を落とされた小谷城はすでに防衛能力に乏しく、浅井久政は舞の名手鶴丸大夫の介錯のもと自害した。

●戦の終わり
織田信長は、本丸にいる浅井長政に降伏を促すが長政はこれを拒否、妻お市の方と3人の娘(茶々(淀殿)、初、於江与)を信長に送り届けると、本丸において最後の抗戦を続け、やがて力尽き自害した。

後日、浅井長政の長男(側室の子とされる)万福丸は、織田兵に捕らえられ処刑され、浅井家は滅亡した。

●髑髏の箔濃(どくろのはくだみ)
信長は、さんざん苦しめられた朝倉義景浅井久政浅井長政の髑髏(どくろ)を箔濃(はくだみ=漆を塗り金粉で装飾する)にして、翌年の正月、家臣たちとともにそれを酒肴に宴を張ったといわれている。