臨済宗の最高位から家康参謀となった
金地院崇伝こんちいん すうでん
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誕生 1569年(永禄12年)
生誕地  
一色秀勝
 
幼名  
以心崇伝
官名  
通称など 以心崇伝、黒衣の宰相
近親など  
ゆかりの地  山城国 京都 南禅寺
 相模国 鎌倉 建長寺
 武蔵国 江戸 金地院
 駿河国 駿府城
略歴 1569年 (1歳)
将軍足利家家臣、一色秀勝の子として生まれる。

●京都
1573年 (4歳)
将軍足利義昭織田信長に追われ、室町幕府滅亡。
そのため、禅宗の最高格式である、京都の南禅寺に入る。

1594年 (25歳)
南禅寺で住職の資格を獲得。

1605年 (36歳)
京都にいながら、鎌倉、禅興寺や建長寺の住職に。

その後、南禅寺住職に。

●家康の使僧
1608年 (39歳)
死没した西笑承兌に替わって徳川家康の外交官となり、駿府城において、諸外国や禁裏に対する政策全般を取仕切る。

1612年 (43歳)
京都所司代、板倉勝重らとともに、宗教行政を任せられる。

1613年 (44歳)
伴天連追放令に関与。

●豊臣滅亡へのシナリオ書き
1614年 (45歳)
豊臣家を滅亡に追い込むための施策を計画し、徳川家康に提案。(方広寺鐘銘事件

1615年 (46歳)
禁中並公家諸法度を起草。

武家諸法度を起草。

●天海に敗北
1616年 (47歳)
徳川家康の死後、神号を明神とすべきと主張し、権現とすべきと主張する南光坊天海と争うが敗北。

その後は、二代将軍徳川秀忠に仕える。

1619年 (50歳)
僧録司に。

徳川秀忠から、武蔵国江戸増上寺のそばに金地院を建立される。

●国師
1626年 (57歳)
後水尾天皇より、円照本光国師(国師=仏教上の師)を授かる。

1627年 (58歳)
紫衣事件に付け入り、朝廷に対する幕府の影響力を高める。

1633年 (64歳)
死没。
死没 1633年(寛永10年)2月 享年64歳
レクイエム 晩年、禅宗の最高位として、密教の南光坊天海と幕内における宗教主導権を争った。