真田家に嫁いだ本多忠勝の娘
小松姫こまつひめ
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誕生 1573年(天正元年)
生誕地  
実父:本多忠勝、養父:徳川家康、義父:真田昌幸
乙女(本多忠勝の側室)
幼名 稲姫または於小亥
小松姫、小松殿
官名  
近親など 夫:真田信之
弟:本多忠政、本多忠朝
妹:もり姫(奥平家昌の正室)
子:真田信政、真田信重、まん(高力忠房の正室)、まさ(佐久間勝宗の正室)など
ゆかりの地  信濃国 上田城
 上野国 沼田城
略歴 ●本多平八郎の長女
1573年 (1歳)
徳川家康の重臣、本多忠勝の長女として生まれる。

●真田家
1589年 (17歳)
真田家が徳川家康の与力となる。

徳川家康の養女となり、信濃国上田城主、真田昌幸の長男、真田信幸と結婚。

●沼田
1590年 (18歳)
夫、真田信幸、分家され上野国沼田城主に。

●上田城攻めと関ヶ原
1600年 (28歳)
真田信幸徳川家康の会津征伐軍に加わったが、石田三成挙兵の報せに、父昌幸と袂を分かち、東軍につくことを決意。

関ヶ原の戦の直前、 夫、真田信幸徳川秀忠に従い中山道を進み、父と弟のの籠る上田城攻撃(第二次上田城の戦)に参加するが落とせず。

戦後徳川家康は、西軍についた義父真田昌幸と義弟真田幸村の殺害を決意するが、夫とともに助命に奔走、高野山への謹慎だけで許される。

●上田
真田信幸、父の旧領上田9万5千石を拝領。

真田信之、父真田昌幸の「幸」の字をはばかって、信幸から信之に改名。

1611年 (39歳)
義父真田昌幸が、九頭山で死没。

1614年 (42歳)
真田信之、病気のため大坂冬の陣に参戦できず。

1615年 (43歳)
真田信之、病気のため大坂夏の陣にも参戦できず。
豊臣方についた、義弟真田幸村が討ち死に。

1620年 (48歳)
江戸で病にかかり、草津の湯での湯治に向かう途中、武蔵国鴻巣にて死没。
死没 1620年3月27日(元和6年2月24日) (享年48歳)
レクイエム 猛将の娘だけに女丈夫で、関ヶ原の直前、義父の真田昌幸と義弟の真田幸村沼田城に立ち寄り、孫の顔が見たいと言って寄越したが、西軍について敵対関係となった二人の入城を最後まで拒んだ。