秀次事件の犠牲となった最上義光の愛娘
駒姫こまひめ
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誕生 1581年(天正7年)
生誕地  
最上義光
釈妙英(大崎義直の娘)
駒姫、伊萬、於伊萬の方
官名  
近親など 兄:最上義康、最上家親、清水義親、山野辺義忠、上野山義直、大山光隆
姉:竹姫、松尾姫
夫(許婚):豊臣秀次
ゆかりの地 GOOGLE MAP 出羽国羽前 山形城
GOOGLE MAP 山城国 聚楽第
GOOGLE MAP 出羽国羽前 専称寺(菩提寺)
略歴
●最上家
1581年 1歳 出羽国羽前山形城主、最上義光の娘として生まれる
その後、東国一の美女と謳われるように
    ●秀次
    その後、関白豊臣秀次から側室として求められるようになり、15歳になったら嫁がせることが決定
1595年 15歳 結婚のため上洛、聚楽第城下の最上屋敷に入るが、秀次事件で謹慎中だった豊臣秀次とは会えず
豊臣秀次が高野山で切腹
秀次の妻子の処刑が決定され、その内の一人として三条河原にて処刑される
死没 1595年9月5日(文禄4年8月2日) (享年15歳)
レクイエム 辞世は「罪なき身を世の曇りにさへられて共に冥土に赴くは五常のつみもはらひなんと思ひて罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき」

それにしても秀次の側室に決まっていたとはいえ、一度も会ったことのなかった駒姫を連座させるとは、あまりにも酷い仕打ちである。

菩提寺の専称寺に、駒姫の居室が移築され残っている。