天下を決め、死を早めた、松尾山からの裏切り
小早川秀秋こばやかわ ひであき
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1582年(天正10年)
生誕地  
木下家定豊臣秀吉の正室、おね(高台院)の兄)
杉原家次の娘
幼名 辰之助
羽柴秀俊、小早川秀秋、小早川秀詮
通称 金吾中納言、丹波中納言
官名 従三位、左衛門督、参議、権中納言など
近親など 養父:豊臣秀吉小早川隆景
正室:宍戸元秀の娘(毛利輝元の養女)
ゆかりの地  丹波国 亀山城
 筑前国 名島城
 美濃国 関ヶ原 松尾山
 備前国 岡山城
略歴 ●秀吉の養子
1582年 (1歳)
尾張国の武将、木下家定の子として生まれる。

1584年 (3歳)
子のいない羽柴(豊臣)秀吉の数少ない親族(義理の甥)であったことから、秀吉の養子になる。

1592年 (11歳)
中納言となり、金吾と呼ばれる。

●小早川家の養子
1593年 (12歳)
秀吉にお拾い(豊臣秀頼)が生まれると、小早川隆景の養子に出される。

丹波国亀山10万石を拝領し、亀山城主に。

1595年 (14歳)
関白豊臣秀次の謀反(秀次事件)に加担していたという嫌疑から、領地を没収される。

●家督相続
しかし父隆景から家督を譲られ、筑前国筑後国2郡など、合計約52万を引き継ぎ、筑前国名島城主に。

1597年 (16歳)
慶長の役(第二次朝鮮出兵)に出兵するが、失態(大将でありながら前線に出て戦をした)を石田三成に讒訴される。
秀吉から、越前国北ノ庄18万石に減封の上移封の処分が下される。

1598年 (17歳)
豊臣秀吉死没。

大老徳川家康の取り成しにより、秀吉が命じた減封・移封処分は無効に。

●関ヶ原での寝返り
1600年 (19歳)
関ヶ原の戦では西軍につき1万5千の大軍勢で松尾山に陣取るが、家老、平岡頼勝、稲葉正成を通じて徳川家康に内通しており、戦が始まると東軍に寝返り、大谷吉継隊に攻めかかる。
この寝返りが決め手となり、東軍が勝利。

その後、石田三成の父、石田正継が守る佐和山城を攻め落城させる。

戦後、宇喜多秀家の旧領備前国美作国、52万石を拝領し、岡山城を居城に。

1602年 (21歳)
病没。
レクイエム 家康の撃った大砲に驚き、迷い続けていた寝返りを実行したように、気の弱かったことがうかがえる。

そしてその気の弱さが、後年寝返りをしたことへの後悔に繋がり、そのストレスから酒量が増え、早死にしたといわれている。
死没 1602年12月1日(慶長7年10月18日) (享年21歳)