秀吉が主導権を握った重鎮会議
清洲会議きよすかいぎ
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西暦 1582年
和暦 天正8年6月
略図
場所  尾張国 清洲城
写真
清洲城 再建天守
概要 本能寺の変に倒れた織田信長とその嫡男織田信忠の後継者を決めるために、清洲城で行われた会議。
召集したのは、信長の仇を討った羽柴(豊臣)秀吉

その他に、重臣である柴田勝家丹羽長秀池田恒興が参集し、信長の遺児の北畠(織田)信雄神戸(織田)信孝は当事者であることから欠席。

また滝川一益(関東方面司令官)は、関東の北条氏直神流川の戦で大敗を喫し上野国を失い敗走中だったこともあり、この重臣会議から外された。

筆頭家老の柴田勝家は、神戸家に養子として入っていた三男の織田信孝を後継者として推すが、羽柴(豊臣)秀吉は信長の嫡孫で織田信忠の子三法師(秀信)が順当であると主張し対立する。

結局、秀吉が事前に根回しをしていたこともあり、丹羽長秀池田恒興も三法師(織田秀信)を推したことから決着し、その後見人には秀吉がつくことになった。
これにより、織田家での主導権は秀吉が握る。

また、信長、信忠、明智光秀の遺領などについては、下記の通りに分配されることも決定した。
孫、三法師(織田秀信)・・・近江国坂田郡3万石と安土城

二男、北畠(織田)信雄・・・尾張国伊勢国南部・伊賀国合計100万石。清洲城

三男、神戸(織田)信孝・・・美濃国岐阜城

四男、羽柴(織田)秀勝・・・丹波国亀山城

羽柴(豊臣)秀吉・・・旧領の播磨国に加え山城国を加増

柴田勝家・・・旧領の越前国加賀国能登国越中国に加え、秀吉の旧領、近江国北部3郡(伊香郡・浅井郡・坂田郡(?))を加増。秀吉の居城だった近江国長浜城には勝家の甥、柴田勝豊が入城

丹羽長秀・・・旧領の近江国佐和山と若狭国に加え、近江国高島郡と志賀郡を加増

池田恒興・・・摂津国大坂、尼崎、兵庫など12万石を拝領