勝頼を見限った木曽谷の領主
木曾義昌きそ よしまさ
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誕生 1540年(天文9年)
生誕地  
木曾義康
 
幼名  
 
官名 伊予守、左馬頭など
近親など 正妻:真竜院(武田信玄の娘)
子:木曾義利など
ゆかりの地  信濃国 福島城
 信濃国 深志(松本)城
略歴 1540年 (1歳)
信濃国福島城主、木曾義康の子として生まれる。
旭将軍、源義仲(木曾義仲)の末裔とされる。

●信玄への服従
1555年 (16歳)
武田晴信(信玄)信濃国攻略戦に敗北し降伏。本領を安堵されるとともに、武田晴信(信玄)の三女を娶り、武田家の親族衆に。

●信玄の死
1573年 (34歳)
武田信玄病死により、子の武田勝頼に使える。

1579年 (40歳)
父、木曾義康死没。

●武田への裏切り
1582年 (43歳)
武田勝頼が課した新府城普請の賦役や厳しい年貢への不満などから、織田信長に寝返り武田攻めの先鋒となる。

武田勝頼はこれに激怒、武田信豊らに木曾攻めを命じるとともに、人質にとっていた義昌の母や子を処刑。

鳥居峠で織田信長の援軍を得て、討伐軍に勝利。

武田勝頼が天目山へ向かう途中自害。(天目山の戦

●松本城主
織田信長から、安曇、筑摩の2郡を加増され、深志(松本)城を与えられる。

●木曽への帰還
織田信長本能寺の変で没すると、高遠城を攻め奪うが、元領主、小笠原貞慶に安曇、筑摩に侵攻されたため、木曽に戻る。

この後、信濃国に進出してきた徳川家康に従う。

天正壬午の乱

●下総
1590年 (51歳)
徳川家康の関東移封に伴い、下総国阿知戸1万石を拝領し、木曽は没収となる。

1595年 (56歳)
阿知戸で死没。
死没 1595年(文禄4年)3月 (享年56歳)
レクイエム 遺体は、椿の海という湖に水葬された。椿の海は現在では干拓されている。