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誕生 | ????年(????年) |
生誕地 | |
父 | |
母 | |
幼名 | |
名 | 木村光清、木村吉清 |
官名 | 伊勢守 |
通称 | |
近親など | 子:木村清久など |
ゆかりの地 | ![]() ![]() ![]() ![]() |
略歴 | 生年や出自は不詳。 ●荒木村重 ????年 (??歳) 荒木村重に仕える。 ●明智光秀 ????年 (??歳) 明智光秀に仕える。 その後、名を光清とする。(推定) その後、光秀の居城のひとつ、亀山城の城代に。 1582年 (??歳) 本能寺の変。(主君の明智光秀が織田信長に謀反) 山崎の戦で、羽柴(豊臣)秀吉に敗北。 明智光秀が戦死。 ●羽柴秀吉 その後、亀山城を羽柴(豊臣)秀吉に明け渡し降伏。 その際の手際よさを認められ、羽柴(豊臣)秀吉に仕える。(5千石) (当初から秀吉に内応していたという説もあり) その後、名を吉清とする。(推定) その後、京都町奉行に。 その後、子の木村清久が秀吉の側近に。 1584年 (??歳) 小牧・長久手の戦に従軍。 1590年 (??歳) 小田原城攻めに従軍。 ●奥州 奥州仕置では名淵での戦闘などで戦功をたてる。 戦後、改易された大崎家、葛西家の領地を子の木村吉清とともに拝領し大名となり、寺地城主に。(30万石) その後、検地や刀狩を行ったことから一揆が勃発。(大崎葛西一揆) (伊達政宗が煽動したという説あり) 寺地城を追われ佐沼城に篭り、伊達政宗、蒲生氏郷の援軍を得て一揆を平定。 領地を没収され、蒲生氏郷の客将に。 ●福島 1592年 (??歳) 蒲生氏郷から信夫郡を与えられ、杉目城主に。(5万石) その後、福島城と改称。 1595年 (??歳) 蒲生氏郷死没。 1598年 (??歳) 蒲生家が宇都宮へ転封となったことを受け、豊後国に1万4千石を拝領し再び大名に。 死没。 |
レクイエム | 奥州仕置後、それまでに5千石から一気に30万石の領主となったが、 |
死没 | 1598年3月17日(文禄4年2月7日) (享年40歳) |