劣勢挽回の途上病に倒れた大隅の大名
肝付良兼きもつけ よしかね
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誕生 1535年(天文4年)
生誕地 大隅国
肝付兼続
御南(島津忠良の娘)
幼名  
三郎、良兼、才安恭俊(法号)
官名 左馬頭、河内守
近親など 弟:肝付兼亮、肝付兼則、肝付兼護
正妻:高城(伊東義祐の娘)
子:娘(伊地知重政の正室)、満寿丸、娘(肝付兼亮の正室)など
ゆかりの地  大隅国 高山城(こうやま)
略歴
●大隅
1535年 1歳 大隅国の大名で高山城主、肝付兼続の嫡男として生まれる
1538年 4歳 この頃までに、父が大隅国をほぼ平定
●家督
1553年 19歳 父から家督を譲られる
1558年 24歳 宴席におけるトラブルから、薩摩国の島津家と敵対関係となり、日向国伊東義祐と結ぶ
1562年 28歳 日向国志布志城の島津忠朝を攻め勝利
父が志布志城に移る
1564年 30歳 日向国福原で島津忠親と戦い勝利
1566年 32歳 島津家家臣、北郷時久と戦い勝利
    ●降伏
島津貴久の家臣、伊集院忠棟の反撃により本城の高山城を攻略され、父が自害
降伏し島津家に帰参。本領の高山のみ安堵される
●反撃
1568年 34歳 再び島津家から離反し、伊東義祐と結ぶ
島津家の飫肥城攻めに従軍し勝利
1571年 37歳 伊地知重興の援軍に駆けつけ、島津勢に勝利
病死
死没 1571年8月20日(元亀2年7月30日) (享年37歳)
レクイエム 父の死後、島津家に降ったあとも伊東家に心を寄せていたと言われる。
そのため伊東家攻めの先鋒となったときは虚戦(戦をしている振り)を行おうとしたが、配下への指示が徹底されておらずいつしか実戦となってしまい、伊東家の攻撃を受け多くの重臣を失ってしまった、という逸話が残る。