元就の二男、元春を養子に迎えた
吉川興経きっかわ おきつね
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像  
誕生 1508年(永正5年)(1518年説も)
生誕地 安芸国
吉川元経
毛利弘元の娘
千法師(幼名)、次郎三郎、興経
官名 治部少輔
近親など 正妻:宍戸元源の娘
子:千法師
養子:吉川元春
ゆかりの地  安芸国 小倉山城
GOOGLE MAP 安芸国 吉川興経館
略歴
●安芸
1508年 1歳 安芸国北部の国人で小倉山城主、吉川元経の子として生まれる
    ●家督
1522年 14歳 父が急死。これにより家督を相続
    若年だったことから、祖父、吉川国経の後見を受ける
    ●尼子家
1524年頃 16歳  吉田郡山城主の毛利元就とともに、大内家から離反し出雲国の太守、尼子家につく
1531年 23歳  祖父、吉川国経が死没
1540年 32歳  尼子晴久吉田郡山城攻めに従軍するが敗北。(吉田郡山城の戦
    ●大内家
    これを受け尼子家を見限り、出雲国石見国の国人13名の連署により大内義隆に寝返る
    ●尼子家
1542年 34歳 月山富田城の戦(第一次)の際、尼子家を攻めあぐねている大内義隆から再び離反し尼子家に寝返り、三沢為清らとともに戦場を離脱。これにより、他の国人や家臣からの不信感が高まる
1543年 35歳 大内義隆月山富田城の尼子攻めをあきらめ撤兵
    ●大内家
1544年 36歳 激怒した大内義隆の命により捕らえられ、妻の実家の毛利元就に預けられるが、その後元就の取り成しにより許され帰参
この頃、毛利元就大内義隆からの独立を画策し始める
    ●養子、元春
1546年 38歳  興経へ不信感を募らせ排除することを決めた叔父の吉川経世らが、毛利元就に対し、その二男、吉川元春の養子縁組を依頼
1547年 39歳 吉川元春を養子として送り込まれ、実子の千法師は廃嫡される
●強制隠居と誅殺
1550年 42歳 毛利元就から強制的に隠居させられ、実子の千法師や妻とともに安佐郡布川(吉川興経館)に幽閉される
謀反の疑いをかけられ、毛利元就の家臣、熊谷信直、天野隆重に館を襲われ、千法師とともに誅殺される
死没 1550年11月5日(天文19年9月27日) 享年42歳
レクイエム 戦略眼には問題があったが豪勇で知られ、特に弓の腕は鎮西八郎に匹敵するとも言われた。

しかい毛利元就の用意は周到で、襲撃時反撃させないように興経の刀の刃を潰し弓の弦を切るなど、事前工作を行っていた。