関ヶ原で動かず毛利軍を参戦させなかった
吉川広家きっかわ ひろいえ
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誕生 1561年(永禄4年)
生誕地 備中国
吉川元春
新庄局(熊谷信直の娘)
幼名 才寿丸
次郎五郎、吉川経信、吉川広家
通称 又次郎
官名 従四位下、民部少輔、侍従など
近親など 祖父:毛利元就
正室:宇喜多直家の娘
伯父:毛利隆元
叔父:小早川隆景など
兄:吉川元長、吉川元氏
子:吉川広正、毛利就頼など
従兄:毛利輝元など
ゆかりの地  出雲国 月山富田城
 美濃国 関ヶ原 南宮山
 周防国 岩国城
略歴 1561年 (1歳)
毛利元就の子で、吉川家の養子に送り込まれていた吉川元春の三男として生まれる。

子供の頃はうつけとの悪評が高かった。

●初陣
1570年 (10歳)
父、吉川元春に従い尼子攻めに初陣。

1583年 (23歳)
人質として羽柴(豊臣)秀吉に預けられるが、すぐに帰国を許される。

1586年 (26歳)
父、吉川元春死没。兄の吉川元長が家督を継ぐ。

●家督相続
1587年 (27歳)
兄で当主の吉川元長が病死したことにより、家督を継ぐ。
その際、広家と改名。

●月山富田城主
1591年 (31歳)
出雲国伯耆国の一部と隠岐国を拝領し、出雲国月山富田城主に。(14万石)

1592年 (32歳)
文禄の役(第一次朝鮮出兵)に参陣。

1595年 (35歳)
毛利両川のひとり、叔父の小早川隆景が死没したことにより、毛利家当主毛利輝元の補佐役の筆頭に。

1597年 (37歳)
慶長の役(第二次朝鮮出兵)に参陣。

●関ヶ原
1600年 (40歳)
関ヶ原の戦の直前は不参戦を主張し、主戦派の安国寺恵瓊と対立するが、毛利本家の毛利輝元が参陣を決意。

しかし広家は、関ヶ原の南宮山、毛利秀元安国寺恵瓊の前方に陣取り、戦いには参加せず。
(事前に東軍の黒田長政を介して東軍に内応していたため)

戦後は、毛利本家の領地安堵の約束が反故にされ、中国10ヶ国は一旦没収、広家に周防国長門国を与えると沙汰される。

これに対して徳川家康に必至に嘆願し認められ、周防国長門国、計29万石は毛利本家に与えられる。

●岩国
毛利輝元は2国を分国し、広家はその内周防国の岩国3万石を拝領。

1608年 (48歳)
岩国城を築城。

1617年 (57歳)
岩国分国法を制定。

1625年 (65歳)
死没。
レクイエム 関ヶ原の戦の際の内応の報償が反故にされたのは、交渉相手が徳川の外様大名であった黒田長政であったためで、このあたりにも徳川家康や謀将本多正信の周到な交渉術が垣間見える。

家康は、毛利の不戦により戦に勝利できただけではなく、戦後2ヶ国に毛利を押し込め、その国力・戦力をほとんど無力化することにも成功した。
死没 1625年(寛永2年)9月 (享年65歳)