黒田長政に誅殺された豊後城井谷領主
城井鎮房きい しげふさ
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誕生 1536年(天文3年)
生誕地 豊前国
城井長房
 
幼名 弥三郎
宇都宮貞房、城井貞房、宇都宮鎮房、城井鎮房
官名 従四位下、常陸介
近親など 正妻:大友義鑑の娘
子:城井朝房、城井昌房、城井堂房、城井経房など
ゆかりの地  豊前国 城井谷城
略歴 ●豊前宇都宮氏
1536年 (1歳)
豊前宇都宮氏である、城井長房の子として生まれる。

●大友氏
1551年 (16歳)
主君である周防国大内義隆が大寧寺の変により死没すると、豊後国の太守、大友義鎮(宗麟)に仕え、妹を正室に迎える。

その際大友義鎮(宗麟)から一字を拝領し、城井鎮房と名乗る。

1559年 (24歳)
父、城井長房とともに上洛し、将軍、足利義輝に拝謁。

●耳川の戦と島津氏
1578年 (33歳)
主君、大友義鎮(宗麟)耳川の戦島津義久に大敗すると、島津氏に従う。

●秀吉への反抗
1587年 (42歳)
豊臣秀吉九州攻めでは病気のため、子の城井朝房を従軍させる。

戦後、豊臣秀吉から伊予国今治(12万石)への加増転封と、藤原定家の小倉色紙の引渡しを命じられたことに不満を抱き、新領主となった黒田官兵衛に対し反乱を起こす。

黒田官兵衛の子、黒田長政に城井谷城を攻められるが撃退。

本領安堵や子の城井朝房の人質、娘の鶴姫の長政への輿入れなどを条件に降伏。

●誅殺
1588年 (43歳)
黒田長政の招きを受けて中津城へ入り、酒宴の席で誅殺される。
死没 1588年5月15日(天正16年4月20日) (享年43歳)
レクイエム 180pの大男で、強弓の使い手として知られた武将。

長政に誅殺されたあと、父で隠居の城井長房も館を攻められ誅殺された。

肥後国の一揆平定のため黒田官兵衛に従軍していた城井朝房も、官兵衛から誅殺され、さらに娘の鶴姫も磔の刑に処され豊前宇都宮氏は滅亡した。