信長に徹底抗戦した、本願寺住職
顕如けんにょ
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1543年(天文12年)
生誕地 摂津国 石山
証如
 
幼名  
光佐
近親など 妻:如春尼(三条公頼の娘)
子:教如、顕尊、准如
ゆかりの地  摂津国 石山本願寺(のちの大坂城
 山城国 西本願寺
略歴 1543年 (1歳)
浄土真宗(一向宗)の総本山、摂津国石山本願寺の第10世住職、証如の子として生まれる。

●本願寺住職
1554年 (12歳)
父の死により、第11世住職に。

1557年 (15歳)
近江国の六角定頼の養女になっていた如春尼と結婚。

1561年 (19歳)
浄土真宗の開祖親鸞の300回忌を、10昼夜に渡り行う。

●信長との対立
1570年 (28歳)
天下統一のために、寺社による領土支配を剥奪しようとしていた織田信長と敵対。
信長は、政治・経済の要害である石山本願寺の明け渡しを要請してきた。
石山合戦の始まり)

越前国加賀国、伊勢国長島をはじめ、全国の農民を中心とした宗徒に一揆(一向一揆)を蜂起させる一方、信長と敵対関係になっていた将軍足利義昭甲斐国武田、中国毛利などと同盟、武装した門徒を使って、その後10年もの間信長を苦しめた。

●降伏
1580年 (38歳)
伊勢長島の一向一揆の敗北など、勢力が衰えてきたことから抵抗は困難と判断し、朝廷の使者近衛前久の斡旋を受けて信長に降伏。(石山合戦の終結)
住職の座を、子の教如に渡し、紀伊国へ退去。

その後、石山本願寺が炎上。

教如織田信長への抵抗を止めなかったことから義絶。

1582年 (40歳)
本能寺の変

後陽成天皇の勧めにより、教如の義絶を解く。

1585年 (43歳)
羽柴(豊臣)秀吉の薦めにより、大坂天満に本願寺を遷す。

1591年 (49歳)
京都七条に寺地を得て本願寺を遷し、本格的に教団を再興。

1592年 (50歳)
死没。
死没 1592年(文禄元年) 享年50歳
レクイエム 顕如の死後、顕如と不仲だった嫡男の教如ではなく、三男の准如が住職を継ぐことになったことから、教如は独立し東本願寺を建立、准如の西本願寺と分裂してしまう。