信長から甲斐に22万石を拝領した男
河尻秀隆かわじり ひでたか
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誕生 1527年(大永7年)
生誕地 尾張国
河尻親重
 
幼名  
河尻与兵衛
官名 肥前守
近親など 子:河尻秀長など
ゆかりの地  美濃国 岩村城
 甲斐国 河尻秀隆館城
略歴 出自は不詳。

●信長への随身
1542年 (16歳)
織田信秀に仕え、小豆坂の戦(第一次)で初陣。

1558年 (32歳)
この頃までに織田信秀、その死後は織田信長に仕え、黒衣衆の筆頭に。

織田信長の命により、信長の弟織田信行を誅殺。

1560年 (34歳)
桶狭間の戦に参陣。

1565年 (39歳)
美濃攻めで活躍。

1569年 (43歳)
伊勢攻めに参陣。(大河内城の戦

1570年 (44歳)
姉川の戦に参陣。

1573年 (47歳)
岩村城の戦(元亀3年)に参陣するが、武田勢に敗北。

●信忠付き
1574年 (48歳)
信長の嫡男織田信忠付きに。

1575年 (49歳)
織田信忠に従い、美濃国岩村城攻めで貢献。(岩村城の戦(天正2年))

戦後、岩村城主に。(5万石)

長篠の戦でも、織田信忠に従い参陣。

●甲斐
1582年 (56歳)
甲斐国の武田攻め(天目山の戦)でも、織田信忠に従い参陣し功を立てる。
これにより、甲斐国4郡など22万石を拝領。

本能寺の変が発生すると甲斐国内に一揆が起き、その混乱の中で討たれる。
死没 1582年7月7日(天正10年6月18日) (享年56歳)
レクイエム 信長が嫡男織田信忠に、「秀隆を父と思って従うようにと」言わしめたほど、信頼があつかった。

本能寺の変後の甲斐国一揆で殺されたわけだが、その一揆を煽動したのは徳川家康だったという説がある。
信長なきあとの混乱に乗じた勢力の一挙拡大を図るためには、秀隆が邪魔だったためである。