北条家が武蔵国を席巻することになった戦
河越夜戦かわごえよいくさ
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西暦 1546年
和暦 天文15年5月
略図
関連する場所  武蔵国 河越城
 上野国 平井城
写真
河越城本丸御殿
概要 ●両上杉家の和睦
扇谷上杉家の武蔵国の重要拠点河越城は、相模国から進出してきた北条氏綱北条早雲の子)により1537年に攻略されたが、氏綱が1541年に病没すると、扇谷上杉家の若き当主上杉朝定は長年敵対関係にあった関東管領、山内上杉家の上杉憲政と和睦し、共に強敵の北条家に対した。

さらに両上杉家は、北条家と婚姻関係を結んでいた古河公方足利晴氏も味方につけることに成功した。足利晴氏も両上杉家同様、北条家の勢力拡大に脅威を抱いていたのである。

●河越城
1545年10月、上杉勢は8万5千の大軍で、北条綱成ら3千の籠る河越城を囲んだ。

氏綱の死後家督を継いだ北条氏康は、当初駿河国今川義元が西から牽制行動を起こしたため援軍を出せなかったが、半年後の4月、今川家との和睦に成功、小田原から8千の軍勢で河越城への援軍に向かい武蔵国府中に布陣した。

●謀略と夜討ち
しかし10倍もの敵に対するのは無理と判断した北条氏康は、「河越城を明け渡すから城兵を助命してほしい」と上杉方に申し入れた。これは氏康の謀略だったのだが、上杉方はこれで勝負あったと油断した。

その油断をついて北条氏康は4月20日の深夜、河越城内の北条綱成と連絡を取り合った上で、乾坤一擲の夜討ちを敢行、不意をつかれた上杉勢はたちまちに混乱し、上杉朝定が討ち死にし、扇谷上杉家は滅亡となった。

また上杉憲政上野国平井城に敗走し、北条方の大勝利となった。
この戦における古河公方・両上杉家連合軍の死者は1万3千にのぼったという。

北条氏康はこの戦で武蔵国を完全に領することになった。
その他