松山の礎を築いた賤ヶ岳七本槍のひとり
加藤嘉明かとう よしあきら
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1563年(永禄6年)
生誕地 三河国
加藤広明
堀部氏
幼名 孫六
加藤茂勝など
官名 左馬助、侍従
近親など 子:加藤明成など
ゆかりの地  淡路国 志智城
 伊予国 松前城
 伊予国 松山城
 陸奥国岩代 会津若松城
略歴 1563年 (1歳)
三河国の松平家家臣、加藤広明の子として生まれる。

1563年 (1歳)
父、加藤広明が三河一向一揆に加担し松平(徳川)家康に背いたことから流浪の身となる。

●秀吉への随身
その後羽柴(豊臣)秀吉に仕える。

●賤ヶ岳七本槍
1583年 (21歳)
賤ヶ岳の戦で貢献し、賤ヶ岳七本槍のひとりとして名を上げる。

1585年 (23歳)
四国攻めに参陣。

●淡路と水軍
1586年 (24歳)
淡路国、志智城主となり、1万5千石を拝領。

1587年 (25歳)
九州攻めに参陣。

豊後国での島津勢との戸次川の戦で敗戦。敗走の際、殿軍(しんがり)として活躍。
これにより、3万石に加増される。

1590年 (28歳)
小田原城攻めに参陣。

1592年 (30歳)〜
文禄の役(朝鮮出兵)慶長の役(第二次朝鮮出兵)では、水軍をを率いて転戦。李舜臣の水軍と戦う。

●松山城主
1595年 (33歳)
伊予国、松前城主となり6万石を拝領。

1597年 (35歳)
慶長の役(第二次朝鮮出兵)にも参陣。

戦後、10万石に加増される。

●三成との対立
1598年 (36歳)
秀吉が死ぬと、加藤清正福島正則らとともに石田三成ら五奉行と対立。

1599年 (37歳)
前田利家死後、福島正則らと石田三成暗殺を計画するが、家康に一喝され断念。

1600年 (38歳)
関ヶ原の戦では家康の東軍について、前哨戦である岐阜城攻めなどに貢献。

戦後20万石に加増される。

●松山城主
1602年 (40歳)
勝山に新城を築城開始。(松山城

1603年 (41歳)
新城の地を松山と命名。

1614年 (52歳)
大坂冬の陣では、江戸留守居役として残る。

1615年 (53歳)
大坂夏の陣では、将軍徳川秀忠に従い参陣。

●鶴ヶ城主
1627年 (65歳)
蒲生家断絶騒動の起こった陸奥国岩代、会津40万石に転封となり会津若松城主に。

1631年 (69歳)
死没。
レクイエム 現在の松山市の礎を築いた武将。水陸両方の戦に長け、特に統率力が高かった。
死没 1631年10月7日(寛永8年9月12日) (享年69歳)