西軍から東軍へ寝返った美濃黒野城主
加藤貞泰かとう さだやす
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像  
誕生 1580年(天正8年)
生誕地  
加藤光泰
一柳直秀の娘
幼名 作十郎
加藤光長、加藤貞泰
官名 従五位下、左衛門尉、左近大夫
近親など 正妻:妙金禅定尼、小出吉政の娘
子:加藤泰興、加藤直泰、娘(細川興昌の正室)
ゆかりの地  甲斐国 甲府城
 美濃国 黒野城
 伯耆国 米子城
 伊予国 大洲城
略歴 1580年 (1歳)
羽柴(豊臣)秀吉の家臣、加藤光泰の嫡男として生まれる。

1582年 (3歳)
本能寺の変

山崎の戦

父、加藤光泰丹波国、周山城主に。(1万7千石)

父、加藤光泰近江国、海津城主に。

父、加藤光泰近江国大溝城主に。(2万石)

1583年 (4歳)
賤ヶ岳の戦

1584年 (5歳)
小牧・長久手の戦

1585年 (6歳)
父、加藤光泰大垣城主に。(4万石)

●父の失脚
父、加藤光泰、秀吉の蔵入地をめぐるトラブルから失脚、秀吉の弟で、大和国羽柴(豊臣)秀長へ預けられる。(1万石)

父、加藤光泰大和国秋山城(宇陀松山城)主に。(1万6千石)

父、加藤光泰、秀吉に許され、近江国に戻り佐和山城番に。(2万石)

1590年 (11歳)
小田原城攻め

●甲斐
1591年 (12歳)
父、加藤光泰甲斐国一国を拝領し、甲府城を築く。(24万石)

1593年 (14歳)
父、加藤光泰が急死。家督を相続。

●美濃黒野
1595年 (16歳)
若年を理由に、美濃国黒野へ減封の上、転封。(4万石)

1597年 (18歳)
黒野城を築城し居城に。

●関ヶ原の戦
1600年 (21歳)
関ヶ原の戦の際、はじめ西軍につき犬山城を守備するが、その後東軍に寝返り、井伊直正の指揮下に。

戦後、所領を安堵される。

●米子
1610年 (31歳)
伯耆国米子城主に。(6万石)

1614年 (35歳)
大坂冬の陣に参陣。

1615年 (36歳)
大坂夏の陣に参陣。

●伊予大洲
1617年 (38歳)
伊予国大洲城主に。(6万石)

1623年 (44歳)
死没。
死没 1623年6月19日(元和9年5月22日) (享年44歳)
レクイエム 美濃国黒野への減封は、父、加藤光泰と仲の悪かった石田三成の差し金だったといわれる。関ヶ原の戦直前、貞泰が三成を裏切って東軍へ寝返ったのもうなづける。